【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『朝ごはんの約束』石田真裕子

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

炊飯器の炊き上がりを知らせるメロディーが遠くから聞こえる。
「よしっ」
小さく気合を入れて布団から出ると、ひんやり冷えた廊下を通りリビングに向かう。
カーテンの外はまだ薄暗い。11月に入り一気に季節が冬に向かっているのを感じる。
急いでエアコンのスイッチを入れ、キッチンの明かりをつけ、電気ポットでお湯を沸かす。
金曜日の冷蔵庫の中身は心もとない。
「卵と、ソーセージと・・・このトマトまだ使えるかな?」
朝ごはんのおかずをギリギリかき集め、家族3人分のお皿とコップを並べる。
炊飯器をあけると、もわっとした蒸気が立ち込めた。
「この炊飯器も、そろそろ寿命かなぁ。」
ほとんどの家電は何度か買い替えているのに、どういうわけか炊飯器だけは、この家に住み始めてからずっとしぶとく働き続けてくれている。
「もう私たち相当お局じゃない?」
我が家の歴史を知る唯一の仲間を労うように、炊き立ての米を、しゃもじでぐるっとかき混ぜた。

15年前、息子の妊娠を機に新築マンションを購入した。
まだ若かった私たち夫婦にとっては大きな決断だった。
豪華絢爛なタワーマンションや、都市部に近いオシャレなデザイナーズマンションの見学にも行ってみたりしたけれど、最終的には、いわゆる郊外にある、ごく普通のファミリー向けのマンションに決めた。
最寄りの駅から徒歩10分。お互いの職場までは電車で1時間かかる。
駅前には、特に目立った観光スポットや大きなスーパーがあるわけでもなく、コンビニと、お肉屋さんと、小さな個人商店と、銭湯なんかが点在する、静かな町だ。
土曜日の朝ごはんは夫が作ることが多くて、それを息子は楽しみにしていた。
「よし、今日の朝ごはんはパパが作るぞ~。みんな大好き、パパ特製焼きそば!」
「朝から焼きそば?しかもそれ、ただの具なし焼きそばですよね?肉とか野菜とか切るの面倒くさいからソースだけでいいや~って出来上がった茶色い麺のかたまりに、特製という魔法の言葉をつけて、あえてですよ感を演出してるだけですよね?」
私がふざけて詰め寄ると、すかさず息子が主人の肩を持つ。
「パパの焼きそば好き!」
「そうだよね~パパの焼きそば好きだよね~。悠真はわかってるな~。」
「悠真は野菜嫌いだからね。そりゃ具なし焼きそば好きだわ。野菜切りたくないパパとWin-winの関係出来ちゃってるわ。」
「うぃんうぃん!」
息子のつたないお喋りと不釣り合いなワードに、思わず夫婦で顔を見合わせて笑う。
普通の町にある、普通のマンションでの、家族3人での普通の暮らしが、私にとっては眩しすぎるくらいにキラキラ輝く宝石みたいな時間だった。

ピカピカだったシンクはいつの間にか水垢だらけになり、
換気扇やコンロの周りにはしぶとい油汚れがびっしりとこびりついている。
引っ越してきて最初の1年は「新築の輝きを保つんだ!」と意気込んでいたが、
もともと大雑把な性格の私がそんな誓いを達成できるはずもなく、
マンションが重ねてきた築年数の分だけ、繰り返してきた慌ただしい日々の生活の痕跡が、いたるところに散らばっていた。

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