【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『シン居候生活』太原同土

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

何やら周りが騒がしい。隣の同僚がニヤニヤしながら椅子ごと近寄ってきた。
「白川さんはどうするんですか?」
「何? どうするって……」
「イントラのトップページ、見てないですか?」
 私には会社の情報には全く興味がない。目の前のモニターに映るソースコードを睨み、バグの発見と修復に明け暮れる。さっさと仕事を終わらせて、とっとと家に帰り、保育園に娘を迎えに行く。その毎日なのだ。
「何か、あったの?」
「ウワサの新規事業の組織は論文と面接の公募制を採用ですって。情報が開示されてから、みんなワサワサですよ」
そのウワサは聞いたことがある。新組織は莫大な予算があり、社員自らのアイデアで事業化まで進められるらしい。でも……。
「ふーん。私は別にここでもいいかな」
「えー、そうなんですか? 白川さんなら通りそうですけど」
「あまり興味ないな」
その時、机の上のスマホがバイブした。画面には『叔母さん』の表示だ。何か緊急事態があったのかと不安を覚えたので、同僚にゴメンと言ってスマホを持った。
「もしもし?」
「ちょっと大変よ。兄さん、摩耶ちゃんのお父さんって、付き合ってる人いるの?」
 母が事故で亡くなってから、父とはほとんど会っていない。実家は長野県だ。私は大学から東京に来て、そのまま就職、結婚し、家庭を持った。仕事もそれなりに忙しい。父は無口で厳格な人で、子供の頃から怖い存在だった。父との会話も母を通して成立していたような感覚がある。叔母から、父の交際する人を問われても全く知らないのだ。私は席を立ち、オフィスの出入り口に向かいながら小声で話した。
「今、会社よ。急用なの?」
「わかってるわよー。でも久しぶりに兄さんに電話したのよ。そうしたら若い女が高藤でございますって出たの。で、後でかけ直したの。そしたら今度は兄さんが出たわよ。さっき電話に出た女の人は誰?って聞いたら、あの兄さん、何て言ったと思う? 一緒に暮らしてる女だって。お願い! 私じゃダメなの。電話してみて」
 電話が切られてしまった。母が亡くなって、すでに十年。父が再婚しようが構わないが、でも、複雑な感情が押し寄せてきた。別にいいじゃない、父の人生なんだから……。
私は、壁にもたれかかり、しばらくスマホを見つめた。そのまま操作して『連絡先』のアプリから『実家』を探す。どのくらい、この番号にかけていないのだろう。世の中に、こんな娘はいるのだろうか? これは親不孝と言うのなのだろうか? 久しぶりに親、というワードについて想いが巡る。まぁ、いい、私は思い切って電話をかけた。すぐに電話がつながった。電話は女性の声だった。
「もしもし? 高藤です」
 私はすぐに電話を切ってしまった。どうしようか……。

実家の近くでタクシーから降りた。家の前だと、誰かが気がついて出てくるかも知れないからだ。小ぶりなキャリーバッグだが、何となく重い。日帰りでも良かったのだが、何たって十年ぶりだ。建前として日帰りと言うわけにもいかないだろう。でも、今日は何があるかはわからない。私は玄関の前にしばらく立ち止まり、チャイムのボタンを見続けている。
「あのー、どちらさま?」
 振り向くと、二十歳くらいの可愛らしい笑顔の女性が箒を持って立っていた。
「父は……」
「ちちわさんですか?」
「違います! 父はいますか? 高藤陽一です!」
女性は慌てて、お辞儀をした。
「失礼しました。今、デイサービスに行っています。もうすぐお帰りになると思います」
「デイサービス? そんなのに行ってるの?」
「はい。毎週金曜日、楽しみに行っていらっしゃいます」
「そう……。あなたは?」
「はじめまして。名取涼風です。大学生です。あの、どうぞ」
「え?」
涼風と名乗った女性は意外な顔をした。
「折角いらしたのに、お家に上がらないのですか?」
「ああ。そう、そうよね……」
私は、キャリーバッグを引き、十年ぶりに実家に入った。すぐにわかった。母がいた時と同じように、家の中は掃除が行き届き、物が整理されている。私の記憶には、父が掃除機を引き回している姿はない。直接言われたことはないが、男は仕事、女は家事、そんな考え方を持っている人だと思っている。私は懐かしい食卓に座って家の中を見回し、つぶやいた。

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