【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『ぼくたちのスタート』杉菜原 直

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

バイトが終わり、暗く寒い夜道を30分ほど歩くと、ようやくマンションが見えてくる。灯りのついている部屋は少ない。ここは学生専用で、今は春休み期間中なので、帰省している人が多いのだろう。ぼくは卒業し就職することが決まっており、バイトも来週で終わりだ。部屋に入り玄関ドアを閉めようとして、ドアポストに白い紙が入っていることに気づいた。

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 退去予定者 各位
新入生の部屋探しのため、3月14日までの退去にご協力ください。ご協力いただける場合、3月分の家賃はいただきません。
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今日は、3月4日。いつから入っていたのだろう。郵便ポストは別にあり、出入りの際にチェックするのだが、ドアポストを見る習慣はなく、ずっと気付かなかったようだ。もうしばらくいるつもりだったけれど、家賃を節約できるなら14日に退去しようかな。
札幌での一人暮らし、楽しかったなあ。もうすぐ終わっちゃうのか。4年間のはずが5年になってしまったけれど、あっという間だった。
横になってそんなことを考えているうちに、いつの間にか寝てしまっていた。

あと10日で引っ越しできるのだろうか。昨夜は疲れていてあまり頭が回らなかったが、急いで準備をしなければならない。就職先には独身寮があるはずだが、勤務地がどこになるかもまだ聞いていない。いつから寮に入れるのかもわからない。
会社の人事部に問い合わせのメールを送る。わずか10行ほどの文章を何度も読み返し、修正して、思い切って送信した。それなのに、“確認するので、少しお待ちください”、という返事が来て、それっきり。今日は5日の金曜日。ということは、月曜日まで返事をもらえないのか。結局、引っ越しするのかどうかも決まらないまま週末を過ごした。

会社から返信が来たのは、予想通り8日の月曜日。勤務地は広島と判明。どこになるかわからなかったのだが、予想外に遠いところになった。独身寮には空き部屋があり、希望すれば15日以降いつでも入居できるとのことなので、14日に部屋を退去することは可能だ。早速、アキにチャットで報告する。

-今どこ? 大学の研究室?
-そう。どうだった?
-勤務地、広島になった
-ずいぶん遠いね
-15日から寮に入れるから、14日に退去できそう
-了解

3年生の時、午前は授業、午後は実験、夕方から深夜までバイト、帰ってからレポートを仕上げて、寝るのは午前3時過ぎという生活を続けていて、ついに体調を崩し入院してしまった。その時に、いろいろ世話をしてくれたのが、同級生で同じマンションに住むアキだった。ぼくは出席日数不足で留年してしまったが、アキは大学院に進み、今は修士の1年生。しっかり者のカノジョである。
引っ越しについてスマホで調べてみると、白クマ単身パックというのが良さそうだ。搬出日、搬入日が選べるようになっており、ちょうど14日の札幌搬出はOKになっている。広島搬入は21日以降しかOKがない。しかも22日以降は料金が上がると書いてあるから、21日しか選択肢がない。急いで予約しないといけないのだが、バイトに行く時間が迫ってきてしまった。入力項目がたくさんあるけれど、大急ぎで終わらせた。

13日土曜日。いよいよ明日が引っ越しだ。梱包資材などをすこしずつ集めてきてはいたが、準備はほとんどできていない。朝、アキからチャットが来た。

-引越準備してる?
-全然
-手伝いに行こうか?
-ありがとう。助かる!

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