【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『わた』大西千夏

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

いつにも増して、今日は眠れない。
何時かは気になるが、見た時のショックが大きいためスマホは開かない。多分感覚としては深夜 2 時を既に回ったような気がするが、時間を確認しさえしなければ、私はもしかし
たら 23 時に眠りにつくことができていたのだという事実を、記憶を、自分の中で作ること
がまだ可能である。私はこの可能性を消さずにいたい。
それにしても肩がこる。いつものことだが、でもいつにも増して最近ひどい気がする。とここでようやく気づいた。
新しい枕のせいだ。

明日(おそらく時間としては今日、でもまだ明日だと思いたいし確証はないのだから明日とする)は、いわゆる「社会人」初日である。入社式だ。大学を卒業し、会社で働きだす、その初日。でも大学にいた頃も会社と名の付く飲食店で働いていたし、中高では社会科部だったし(校内新聞を書いていた)、小学生のころから社会の授業を受けていたしというのは冗談だけれど(いや冗談ではないけれど)、でも小学生のころから私は自分の居場所を探していて、要は小学校も、なんなら家さえも、私にとっては社会で、つまり社会デビューは生まれた時からしているわけで、今更新社会人新社会人言われるのは正直疑問が残るしうるさいなあという感じである。
ただ、環境が明日から、いや 1 週間前から大きく変わっているのは確かである。実家を出
て初めての 1 人暮らし。この部屋に引っ越してきたのは先週の月曜。そしてその引っ越した日、眠りにつくとき、気づいた。何かが足りない。
枕だ。
布団は買ったのに、布団カバーも買ったのに、シーツも買ったのに。枕を忘れた。バスタオルを巻いて枕にしたが、落ち着かなかった。
翌日、駅にくっついているホームセンターに行った。何を買えばいいのかわからなかったので、とりあえず、ホテル仕様とか書いてあるのになぜか一番そこでは安かった枕を買った。
そしてそのホテル枕で寝始めてから 6 日目の今日、気づいた。
枕が高すぎるのだ。

バスタオルよりはましなはずだと思って、あとは私のことだからホテル仕様という言葉にも無意識のうちに気をとられていいように感じていて気づかなかったのだろう、明らかに枕が高い。値段は安いが高さが高い。元から大仏みたくなっている肩がますますカタくなるわけである。

確かタグに「わたを自由に抜いて高さを変えられる」とあったなと、今更ではないがしかし今更ふと思い出して、深夜、明かりをつけて、わたを抜く。
いとも簡単に抜ける。
わたは、いわゆるわたあめそっくりで、幼稚園生がクレヨンで描いた雲みたいに、白くてふわふわとしていた。わたにふわふわなんて表現は、えびの食レポでぷりぷりと言うのと同じくらいカッコ悪いと思ったが、そう思ったのだから仕方ない。わたはとにかく、ふわふわしていた。いわゆる「コットン」みたいな縦っぽい繊維もなく、わたを抜く私にあらがおうとする盾っぽい戦意もすっかりない様子で、私の思うようにわたは動かせた。
思うがままに、どうとでもできた。
私はなにかにとりつかれたみたいに、どんどん抜いた。抜けば抜くほど私の周りにわたが広がって、見た目としては、雲の上にいるみたいになった。天上人ってこんな感じかしら、などと少しふわふわ浮ついた気持ちになった。

ふと見たら、枕が?られた子供みたいに随分小さくなっていた。叱られたというより、叱られてもいないのに何か自分は悪いことをしたんじゃないかとか、明日からどう生きようかとか、子供なりに思ってしゅんとして幼稚園の砂場の隅っこに座っているような、考えすぎて自信をなくした子供みたいになっていた。
急にその枕が、ひどい肩こりもちで猫背で、今この瞬間にも小さく体育座りをしている、私そのもののように思われた。

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