【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『1+1=』綿 恭平

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた9月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

アルバムを整理することが、私にとっての終活第一歩だった。

80歳になっても片付けが得意にならない私にとって、物を捨てていくことは至難の業。でもいらないものを残してあの世に行くのも気が引けた結果、まず撮りためていた写真をアルバムに飾っていくことにした。
何事もはじめの一歩は簡単なことから。挫折しやすい私の座右の銘だ。

「あら、懐かしい」

一枚の写真を手に取ってつぶやいた。年を取ると独り言が多くなってしまう。しかも滑舌も悪くなっているので、お経を唱えているように聞こえるらしい。

色褪せたその写真は、同じ人形を抱きしめた私と先立った夫が写っていた。ひょんなことから出会った私と夫は、たまたま似たような人形を持っていたので記念に撮影したのだ。それが交際のきっかけでもある。
「イヌの人形。よく見ると似てないわね」でも、つい記念に。
シャッター音が耳によみがえる。初めてのデート。私は洒落た格好で街に出て、彼はスーツ姿で待っていた。何でスーツ?と思ったが、私がスーツが好きだと公言していたのをどこかで聞いたらしい。「仕事着だから」と嘘をついていた彼は、作業着を車の後部座席に隠していた。
冬が近づく秋の、そう、すーっと冷えた風が抜けていく夜。当時彼が乗っていた中古の車で揺られながら、私達は街を回った。たった2時間のデートだったけど、彼の言葉を受け入れるには十分だった。
「あら、こんなものまで」

同棲の為に引っ越したボロアパート。家賃が安く、部屋も広かったけどよくゴキブリが出ていたので参った。よく新聞紙を丸めて床を叩いていた。
「誰が撮ったの」

つい笑ってしまった。

緊張した彼と私と私の両親が写っている。そう、結婚を伝えた時の写真だ。ガチガチに緊張した彼となぜかキムチ鍋を食べながら暖を取った。
そして、結婚式。海が見える教会で、家族だけで挙げた小さな式。夫と私は確かに、教会の階段を二人で降りた。家族が降らせてくれた花弁の雨を受けながら、一歩ずつ、足取りをそろえながら。
そして。

「この時から、お転婆な顔をしてたわね」

「おかあさん、これ、わかんない」

算数嫌いの娘は鉛筆を握って、今日出されたばかりの宿題のプリントと睨めっこをしていた。
計算ドリルと書かれたプリントには、足し算と引き算、そして文章問題が記載されており、娘は最後の文章問題に躓いていた。途中の計算も怪しいところがいくつかあったので、後で教えてあげなければならない。
「えーと、A君はリンゴを1つ買いました。その後、オレンジを1つ買いました。途中おばあちゃんにリンゴを3つもらい、オレンジを1つあげました。A君は今果物をいくつ持っているでしょうか」
「わかんない」

文章を読み上げた時点で、娘は鉛筆を机の上に投げた。宿題に嫌気が指して、集中力が落ちてしまっている証拠だ。ここは何としてでも「算数は楽しい」と思い込ませなければならない。
私は肩を回し、やる気になった。娘もそれを見て、肩を小さく回した。

「まず簡単なところから考えよ。リンゴとオレンジの足し算から。」

「たしざん」

「そう、リンゴとオレンジを足してみるの」

「えーと、リンゴは1こでオレンジが……」

真剣な娘の横顔を眺めていると、自分に似てるなと思った。私も算数は嫌いだったからだ。そうこうしていると、玄関から「ただいま」と野太い声がした。
娘はいい機会を見つけたといわんばかりに、鉛筆を投げて玄関に向かった。

そういうところも、似てるな、と思った。

「お母さん、なんで起こしてくれなかったの」

ドタドタと階段を駆け下りてくる娘の叫び声にうんざりしながら、私は冷えたトーストを机に並べた。
今日は期末試験当日で、数学がてんでダメな娘の最悪な日であった。

「朝勉強するから早めに起こしてね」と人任せなことを高圧的に言ってきたくせに、遅刻ギリギリで起きてくるその度胸は認める他なかった。
「2回起こしました。これ以上、言うことある?」

「3回起こしてくれればいいじゃん」

あー言えばこー言うを地で言っているのがよくわかるやり取り。毎日このやり取りをしているので、もうトーストは温めなおさない。

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