【ARUHI アワード2022 7月期優秀作品】『安心とラブ』青井優空

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた7月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「さくらちゃん。家族、ってなんだと思う?」
 ホットココア片手にアンさんがそう呟いた。太陽がキラキラと眩しい八月なのに、長袖長ズボンで湯気が立つココアを飲んでいる。顔は赤くなっていないし、汗一つもかいていない。
「急にどうしたの?」
 私はシャープペンを机に置いた。数学の課題はとても難しい上に、たくさん出されている。文系だと自称する私にとって、夏休み一番の敵だ。
「昨日ね、ドラマを見たの。家族が別れて数年後にまた会う、っていう素敵なお話のドラマ。それで考えてみたんだけど、家族ってなんなんだろう、って。分からなくって。」
 アンさんはゆっくりと言葉を紡ぐ。丁寧に素敵な言葉を集めて、落ち着いた声で口に出していく。喋るのが遅い、と急かす人もいるけれど、私はアンさんの少しだけ低い声を聞いていると、とても落ち着く。
「辞書では定義されているけれど、現実ではなかなか定義しづらいものだと思うの。」
「確かに。」
 私が頷くと、アンさんは人差し指に髪を巻き付けた。胸元まで伸びたサラサラの黒髪は、いつ見ても手触りがよさそうだ。私のぼさぼさな焦げ茶色の髪とは違う。アンさんは納得していない時、髪の毛を触る。本人は気付いていないであろう、アンさんの癖だ。その仕草はとても絵になるから、私はなにも言っていない。
「家族って私もよく分かってないけど。アンさんのことは家族だと思ってるよ。」
 私がそう言うと、アンさんは目を細めて口角を上げた。とても綺麗な人だと初めて会った時から思った。なにをしていても、アンさんは絵本の中にいるようなお姫様みたいに輝いている。とても丁寧で穏やかで落ち着いている。そんなアンさんが私の従姉だと聞いた時、私はとても驚いた。
 セミの騒がしい鳴き声と子どもの元気な声が風に乗ってやって来る。窓はいつも開いていて、お洒落なレースのカーテンはアンさんのお気に入りらしい。1LDKのアパートで一人静かに暮らすアンさんはやっぱりとても綺麗だった。

「さくら。従姉の杏ちゃんよ。今日はあんたの面倒、杏ちゃんが見てくれるから。迷惑かけちゃ駄目よ。いつも通り、いい子にね?分かった?」
 アンさんと初めて会ったのは、私が九歳、アンさんが十九歳の時だった。派手な化粧と露出の多い服を着た母が家を出てしばらく経っても、私はアンさんに話しかけることができなかった。アンさんもなにを話せばいいのか分からなかったのか、なにも言わなかった。
「お手洗い、借りてもいいですか?」
「どうぞ。一番奥のドアです。」
 これが私とアンさんが交わした初めての会話だった。
 アンさんの家族はそれまで東京からとても離れたところで暮らしていたらしい。だから、私はアンさんと会うことがなかった。アンさんは大学進学をきっかけに上京して、私の家の近くに住むことになったようだ。これを聞いたのは、私とアンさんが五回目に会った時だったと思う。
 母は私を預けるためにアンさんを呼びつけることが多くなった。最初は一週間に一回。次は三日に一回。一週間毎日アンさんと過ごしていたこともあった。そのせいか、私はすっかりアンさんに心を開いて、アンさんが私の心の拠り所だった。

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