愛知県はトヨタ自動車をはじめとする製造業を営む企業が集中している、日本を代表するものづくり都市。歴史的にも貴重な史跡・遺跡が多く、織田信長や徳川家康、豊臣秀吉などの偉人を多く輩出しています。さて今回は、そんな愛知県の難読地名、上級編をお届けします。あなたはいくつ読めるでしょうか?

毛受(一宮市大和町)

濃尾大花火(のうびだいはなび)で有名な一宮市の西部にほぼ中央する毛受。現在の毛受は、東海北陸自動車道が通過しており、東側には住宅地、西側には田園地帯が広がるのどかなエリアです。

一宮市のほぼ中央に位置する毛受 ※写真はイメージ


↓その答えは?

読み「めんじょ」

毛受は、1235年(嘉禎元年)の文書にはすでにその名が登場している歴史の古い土地です。今は「めんじょ」と呼ばれていますが、過去には「めんじょう」と呼ばれていたとされています。

この地が毛受と呼ばれるようになった由来は諸説あります。

・和泉付近に住んでいた百舌鳥氏(もずし)が全国にひろがり、「毛受(もず)」と表記するようになり、発音が「めんじょう」に変化した
・毛受は「免除」の誤り
・大和国鵙(もず)が毛受に変化した

いずれの説が正しいのか、定かではありません。そもそも、「もず」が「めんじょう」に変化した説に関しては資料がなく、なぜ「もず」→「めんじょう」と変化したのかも理解に苦しむところです。

ちなみに、毛受(めんじょう)氏という清和源氏頼光の流れを汲む武家も存在しました。織田信長に伝えた猛将で知られる柴田勝家の家臣、毛受家照(めんじょういえてる)は愛知出身(尾張)。彼は毛受に住んでいた鵜飼家が他の地域に移り住み、分家した鵜飼勝明の次男です。分家の際に、住んでいた地域の名を名乗ることになりました。

柴田勝家が、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と戦った際、敗戦が濃厚であると判断した毛受家照は、撤退を進言して柴田勝家に扮して敵の進軍を食い止め、奮戦ののちに死亡。柴田勝家のために命を捧げた忠君として、今でも滋賀県長浜市で手厚くまつられています。

深溝(額田郡幸田町)

深溝は額田郡幸田町の中心エリア。JR東海道本線の三ヶ根駅がその中心にあります。ちなみに、額田郡幸田町は、「ぬかたぐんこうたちょう」、三ヶ根駅は、「さんがねえき」と読み、プチ難読地名といえますね。


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読み「ふこうず」

深溝は、幸田町史によると1235年(嘉禎元年)には、その名が登場しているとのこと。江戸時代の史料には、深溝を「麻津(ヲヅ)」と表記してありました。深溝には、矢作川の船の泊まり場があったことから、小さな港=小津(おづ)となり、接頭語のフカがついたのではないかと考えられています。ただ、これに「深溝」の字が当てられた理由は定かではありません。

深溝には、1945年(昭和20年)1月13日におきた三河地震により生じた「深溝断層」という断層があり、愛知県指定天然記念物に指定されています。地震による地表のずれを示した支柱と記念碑が建てられ、地震のエネルギーの大きさを間近で感じられる貴重なスポットとなっています。

千両町(豊川市)

千両町は豊川市の北部に位置する山あいのエリア。地域の半分以上を山林が占め、平野部にも田園が広がっています。

古くから養蚕が盛んだった千両 ※写真はイメージ


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読み「ちぎりちょう」

この地は古くから「千両」と呼ばれてきました。1261年(弘長元年)には、「千両」と呼ばれていた記録が残っています。千両と呼ばれるようになった由来は、この地にある犬頭(けんとう)神社にあるといわれています。千両と名付けられた理由は諸説ありますが、ここでは2つを取り上げてみましょう。

・犬が金の糞をした説
昔、この地域を開発していた人が連れていた犬が、金の糞をして、1年間に1,000両になったことから、この地を千両と名付けたとのこと。さらに、犬の死後、犬の頭を埋葬した神社を犬頭神社としたというのです。金の糞をする犬のお話は、非常に夢がありますね。

・犬が鼻から生糸を出した説
昔、郡司の妻が養蚕を営んでいたのですが、飼い犬がその蚕を全部食べてしまいました。妻は非常に怒って、「この恩知らず!」と犬を追い出します。犬はしょんぼりと門から出ていき、そこで口から生糸(絹糸)を吐き出して死んでしまいました。犬が口から吐いた糸は、ほかの地域で機織りをされて天照大神皇大神宮(伊勢神宮)に献上されたとのこと。その絹には1,000両の価値があるとして、村の名前を千両としたというのです。
ちなみに、口からではなく鼻の穴から2筋の生糸を出したという言い伝えも残っています。どちらの説にしても、犬が千両に値する価値があるものを残したことが、地名の由来になっているようです。

千両の由来はわかりましたが、千両(せんりょう)を「ちぎり」と呼ぶ由来はこの話ではわかりません。日本国語大辞典で、「ちぎり」を調べると、繭や卵、貨幣の重さを量る小さな秤のこと、と説明されています。

千両は古くから養蚕が盛んに行われていましたので、養蚕にまつわる道具の「ちぎり」と呼ばれていても不思議ではありません。もともと、「ちぎり」と呼ばれていたところに、「千両」の字をあてたのでしょうか。

犬頭神社は現存していますので、千両の犬伝説に思いを馳せて、訪れてみてはいかがでしょうか。

百々町(岡崎市)

百々町は、岡崎市の市街地にある住宅地。地域内に七所神社、百々西公園、百々公園など緑豊かなスポットも点在しており、閑静で暮らしやすそうなエリアです。

百々町のある岡崎市中心部にある岡崎城


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読み「どうどちょう」

百々町は、古くは「百々村(どうどむら)」と呼ばれ、百々城という城が築かれていました。百々城は、徳川家康が生まれたことで知られる元祖徳川家の本拠地である岡崎城の北側に位置する重要な役割を果たした城です。

百々城は廃城になり建物は残っていませんが、百々城の主であった青山氏の墓碑は残されています。青山氏は、東京の地名「青山」の由来となった一族です。

東京の青山が、百々町出身の青山氏から名付けられた事実は、非常に興味深いものがあります。このほかにも、東京には岡崎市と関係が深い徳川家康の配下にちなんで名付けられた地名、「半蔵門」や「内藤」なども存在しているのです。

さて、百々町と呼ばれるようになった由来ですが、なぜ「百々」と呼ばれるようになったのかは定かではありません。戦国期には百々と呼ばれておりある程度古くから、百々であったことは推測できます。

全国に、「百々」と書いて、「どうど」「どど」「どうどう」と呼ばれる地名は多数存在しています。他地域の「百々」の由来を調べてみると、「水の音」にちなんでいるとする説が多くみられます。

「どうどう」「どんどん」「とうどう」と流れる様子を表しているようです。「百々」とかいて、「どうど」と読む理由は、「10×10が100だから」とする説が濃厚です。「とうかけるとう」→「とうとう」が、なまって「どうどう」や「どうど」になったとのこと。百々町の近くを矢作川やその支流が流れていますので、水にちなんでいるのでしょうか。

百々町には、青山氏の墓碑が位置し、百々町の北西には「本多忠勝誕生地」など徳川家康にちなんだ史跡が点在しています。少し足を延ばせば岡崎城もありますので、徳川家の歴史に興味がある人は、訪れてみてはいかがでしょうか。

吉根(名古屋市守山区)

名古屋市守山区吉根は、庄内川を北に望み、南には緑ケ丘カンツリークラブが広がる自然に囲まれた住宅地。織田氏が統治していた時代には、「吉根城」という城もありました。


↓その答えは?

読み「きっこ」

吉根の地名が初めて史料に登場するのは、室町時代の説話集である「三国伝記」のようです。1530年(享禄3年)の史料に「吉根」、 織田信雄分限帳 には「きっこ」と記されていることから、「吉根」は、古くから「きっこ」と呼ばれていたことがわかります。

織田信雄分限帳とは、天正10年代(1582年〜)に成立した文書で、当時の織田家の家臣の、禄高や役職などが記された記録です。

吉根と呼ばれるようになった由来は定かではないものの、「桔梗(ききょう・きちこう)」と呼ばれた地を、人々が「きっこ」と呼ぶようになったからといわれています。

桔梗は、古今和歌集や宇津保物語、栄花物語などで、「きちこう」と呼ばれていました。「きちこう」が「きっこ」になまったとすれば、不自然ではありません。

吉根は、古くから桔梗で知られており、吉根が属する守山区の花は「桔梗」ですので、桔梗にちなんで名がつけられたのは納得しやすいです。ただ、「きっこ」に、「吉根」の字を当てた理由は定かではありません。

 

愛知県の難読地名、上級編は住んでいる人でなければわからないようなものばかりを集めてみました。徳川家や織田家にちなむ地名も多く、愛知の歴史の一端を垣間見ることができたのではないでしょうか。あなたの身の回りでも、変わった地名を見つけたら、ぜひその由来や歴史を調べてみてください。思いも寄らないエピソードや歴史を知ることができ、知的好奇心がきっと満たされますよ。

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