前回注目を集めた千葉県の難読地名クイズに続き、今回は中級編をお届けします。知っているようで意外に知らない地名、あなたはいくつ読めますか? 地名の由来やその背景にある歴史を知ることで、自分たちが住む町の新たな一面が見つけられるかもしれません。

全国6位となる628万人の人口を抱える千葉県は、有名テーマパークのイメージが強いですが、ネギやホウレンソウ、落花生などの生産量が日本一と農産物王国としての顔も持っています。そんな千葉県にはどんな難読地名があるのでしょう。今回は難易度が中級の地名を5つピックアップし、由来や町の姿に迫っていきます。

安食(印旛郡栄町)

県の北部中央に位置する印旛郡栄町。安食があるのは町の中部で、古い町並みが残るエリアです。食の安全が取りざたされる昨今、気になる地名です。

安食の南部には県内最大の湖沼である印旛沼が。江戸時代から水運や新田開発などのため何度も干拓事業行われてきました

↓その答えは?

読み「あじき」

安食はかつて利根川水運の河川港として栄えた町でした。しかし豊かな水資源はときに川の氾濫をもたらすなど、災いの原因となることもあります。特に安食は川と印旛沼に挟まれた低地にあったため、ひとたび水害が起こればそのダメージは相当大きかったと推測されます。

平安時代、度重なる水害により飢饉に見舞われた住民は、五穀豊穣を願い地元に駒形神社を建造しました。すると翌年は大豊作となり、以来「食に安んずる」ようになったとされ、この伝承が「安食」の名の由来になったといわれています。

また地域に「阿自岐(あじき)」という渡来人の一族が住んでいたため、とする説もあるようですが、詳しいことはわかっていません。

安食は、利根川沿いを走る銚子街道と成田へ向かう街道の分岐点でもあったため、江戸時代中頃は成田山新勝寺へ足を運ぶ参拝客の宿場町としてもにぎわうようになりました。ところが1897年に成田鉄道(現JR成田線)が開通すると、客足は次第に遠のき、また利根川水運も下降の一途を辿ったため、安食は衰微していくことになりました。

安食は昔から水田耕作が盛んで、現在でものどかな田園風景が広がります。その一方、1978年に東隣の成田市に新東京国際空港(現成田国際空港)が開港したことで、エリアに住宅団地が造成されました。近年は首都圏への通勤者も増えたため、地域はベッドタウン化しつつあります。

酒々井町(印旛郡)

安食のある栄町と同じく県北部の印旛郡に属する町で、利根川水系の湖沼である印旛沼の南東岸に位置します。何やら呑み助が喜びそうな地名ですが…。

「酒々井プレミアム・アウトレット」があることで広く知られている酒々井町

↓その答えは?

読み「しすいまち」

地名の由来には以下のような伝承があります。その昔、貧しい農家に酒好きの父親と孝行息子がいました。息子は父親のために毎日酒を買っていましたが、あるとき金が尽きてしまいます。

仕方なく付近の井戸水を徳利で汲むと、それがなんと酒に変わったというのです。その井戸は「酒の井戸」として知られるようになり、これにちなんで「酒々井」という地名になったとか。「しすい」は「しゅしゅい」がなまったものと考えられています。なお、地名の由来となった井戸は「酒の井の碑」として残され、同町にある円福院の境内で見ることができます。
地名の通り酒々井は昔から酒造りが盛んで、日本酒の生産量は県内一。酒々井の地下水は甘みのある軟水で、その口当たりのよい水で仕込まれた酒はクセがなく、どんな料理にも合うそうです。

また千葉県は落花生の生産量が日本一ですが、酒々井でも盛んに栽培されています。純千葉県産の豆を使い、独特の技法で加工された落花生は風味豊かでお土産や進物として広く親しまれています。

酒々井町は1889年に町村制が施行されて以来、一度も合併をしなかっためずらしい町で、町によると“日本で一番古い歴史ある町”だそうです。今後も町では「100年安心して住めるまちづくり」を目指し、若い世代が暮らしやすい環境を整備すべく、積極的に町のブランド力を高めていくということです。

木下(印西市)

県北部に位置する印西市は、ARUHI presents「本当に住みやすい街大賞2019」第8位に選ばれた千葉ニュータウン中央があるエリア。都市部に隣接しているため利便性が高く、良好な住環境が醸成されています。木下はその印西市の北部にあり、茨城県の利根町と接しています。

木下のある印西市は豊かな自然と広大な土地があり、若い世代の転入が見込まれています

↓その答えは?

読み「きおろし」

「きのした」ではありませんでした。地名の由来はとてもシンプルです。木下は先に取り上げた安食同様、明治時代の初期まで利根川水運の河川港として栄えたエリアです。年間およそ4,000隻もの船が就航したといわれますが、特に木下は銚子と江戸を結ぶ中間地点として大きなにぎわいを見せました。

船は様々な物資を運搬しましたが、中でも取り扱いが多かったのが木材とされています。木材と聞いてピンときた人もいるかもしれません。そう、木下は「木」を船に「下ろし」ていたことからその名が付けられたというのです。 
 
木下地区には水運が盛んだった頃から、ある名物がありました。それが地元の米を使用して作った「木下せんべい(印西手焼きせんべい)」と呼ばれる米菓です。市内にもせんべい店は数軒あり、木下駅前の店では昔ながらの炭火焼きで一枚一枚を丁寧に作っている姿を見ることができます。醤油の香ばしい香りを楽しめる木下せんべいは、ふるさと納税の返礼品にもなっています。なお、ふるさと納税での品目は「印西手焼きせんべい」です。
 
豊かな水源に恵まれた当地区では、その景観を楽しんでもらおうと木下駅のすぐ近くから遊覧船が運航されています。市内を流れる六軒川、弁天川、手賀川をめぐる小さな船旅では、川の周辺に生息する様々な水鳥やのどかな風景を堪能することができます。近くに立ち寄った際には、乗船してみてはいかがでしょうか。

猫実(浦安市)

浦安市と言えば真っ先に思いつくのが有名テーマパーク。そのおかげで市には都会的なイメージがあります。しかし、もともと周辺は静かな漁師町でした。猫実はその浦安市の南西部に位置します。

猫実は東京メトロ東西線・浦安駅を降りてすぐ南にあります

↓その答えは?


読み「ねこざね」

猫実とはかわいらしい地名です。しかし、そこには昔の人々の切実な願いが込められています。猫実の周辺は海が近いため、たびたび大津波に遭遇しました。そこで鎌倉時代に人々はこの地に堤防を築き、その上から松を植えました。その際、津波が松の木の根を越えないように、と願ったことから「根越さね」と呼ばれ、それがいつしか「猫実」に転じたと言われています。猫とは関係がなかったのですね。

猫実には市役所や図書館、消防署本部などの公共施設が置かれ、行政上の中心エリアとなっています。その一方で漁村であった頃の面影が残る、下町情緒あふれる街並みも見られます。猫実3〜4丁目にある商店街は、長い間浦安の繁華街としてにぎわいましたが、現在は昭和の時代を思わせる看板が目につくなど、のんびりとした景色が広がっています。

もし、より深く浦安のノスタルジックな雰囲気に浸りたいなら、おすすめの場所があります。猫実1丁目にある「浦安市郷土博物館」です。そこには県の有形民俗文化財に指定されている600点以上の船大工の道具や、「べか舟」と呼ばれた1人乗り用の小舟などが展示され、漁師町として栄えた時代の浦安を体感することができます。興味のある人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

十余二(柏市)

Jリーグに加盟するプロサッカークラブ「柏レイソル」のホームタウンであることでも知られる柏市は、人口約43万人の中核都市。十余二はその柏市の北西部に位置し、ARUHI presents「本当に住みやすい街大賞2020」第4位に選ばれた柏の葉キャンパスの南側の一帯です。地名にある数字は、何を表すのでしょう。

十余二からすぐにある、千葉県立柏の葉公園。日本庭園や、かつてプロサッカークラブ「柏レイソル」が使用していた競技場もあります

↓その答えは??

読み「とよふた」

十余二の位置する下総台地は、古来より馬の産地として知られた地域で、江戸時代には幕府直轄の放牧場として馬の育成が行われていました。しかし明治時代になると政府はこれを閉鎖し、地区の開墾に着手します。そこには東京で貧困に喘ぐ窮民を入植させる目的がありました。開墾された土地には次々に名前が付けられていきましたが、そのネーミングは少し独特で「入植した順番の数字を地名に入れる」というものでした。十余二は12番目に開墾された地であったため、その名が付いたそうです。

12番目ということはほかにも同様の地名があるということ。列挙すると「初富」「二和」「三咲」「豊四季」「五香」「六実」「七栄」「八街」「九美上」「十倉」「十余一」「十余二」「十余三」。地名には「咲」や「美」など縁起の良い漢字が使われており、そこには開墾地の繁栄を願う人々の思いが込められていることが分かります。

現在の十余二には昭和ゴムの本社が置かれ、またガラスメーカーや印刷会社など大小様々な工場が数多く立ち並んでいます。工業団地も造成され、柏市の産業を支える基盤としての役割が期待されています。

千葉県の難読地名クイズ中級編、いかがでしたか。次回、上級編もお楽しみに!

※本記事の掲載内容は執筆時点の情報に基づき作成されています。公開後に制度・内容が変更される場合がありますので、それぞれのホームページなどで最新情報の確認をお願いします。

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