【いくつ読める?】狸穴町、三宿、碑文谷… 東京23区内の難読地名

入学や就職、転勤などを控え、家探しや引っ越し準備をしている人も多い時期。住まい選びをする際に、意外と読めない難読地名にあたったことはありませんか?

これから数回に分けて、難読地名の読み方とともに、そのスポットの特徴について紹介します。小ネタとして知っておくと、周りの人との会話で“つかみ”になるかも!?

第1回は、「東京23区」編です。かつて東京は江戸城(現在の皇居)を中心に、徳川幕府によって計画的に街づくりが行われました。

東京の中心部、特に皇居周辺には江戸城由来の地名が多く、歴史に思いを馳せながら歩くのも楽しいですね。では早速4つの難読地名を見ていきましょう。

紀尾井町(千代田区)

現在は、上智大学などの大学や紀尾井町ビルやホテルニューオータニなどが立ち並ぶ商業地域。複数の行政関連施設に加え、国立劇場や日枝神社などにも近く、文化・歴史が楽しめるロケーション。

紀尾井町ガーデンテラス/PIXTA

↓その答えは?

読み「きおいちょう」

江戸幕府の武家屋敷があった紀尾井町(きおいちょう)は、州徳川家、張徳川家、彦根藩伊家の各藩邸があったので、それぞれの頭文字を合わせて紀尾井町と名付けられたという由来があります。

東京の歴史ある街は地盤が強固な場所としても知られています。大名屋敷や古刹(こさつ)と呼ばれる寺は必ずそうした場所に建てられました。

また紀尾井町は、千代田区の西部に位置し港区(赤坂)、新宿区(四谷)との境にあたり、交通の利便性が良く、都心にありながら豊かな自然環境に恵まれています。

 

狸穴町(港区麻布)

周辺は各国の大使館も多いことから治安も良く、美食家たちが足繁く通う隠れスポットでもあり、静かで落ち着ける街です。

狸穴公園

↓その答えは?

読み「まみあなちょう」

狸穴町(まみあなちょう)のある港区麻布は、山手の台地と谷地で起伏に富んだ坂道の多い場所です。江戸時代初期まで農村や神社の門前町でしたが、やがて高台に武家屋敷や大名屋敷が立ち並び、低地には庶民の町家がありました。

狸穴町という町名は、外苑東通りをロシア大使館へ向かった脇にある狸穴坂が由来となっています。

この地に生息していた猯(まみ=あなぐま)にちなんで、「まみあな」という地名が付きましたが、後に狸の字と混同されてしまい狸穴(まみあな)と書かれるようになりました。

麻布は現在、麻布台、麻布狸穴町、麻布永坂町、麻布十番、西麻布、東麻布、南麻布、元麻布の8つの町に分かれ、芸能人や著名人、財界人などが住む高級住宅街として知られています。

国土地理院狸穴(まみあな)分室の南側には日本経緯度原点が設けられています。

港区指定文化財に指定されており、今も地図測量の原点となっています/PXTA

三宿(世田谷区)

周辺は学校や神社仏閣、公園が多く、世田谷パブリックシアターなどの文化施設や公共施設も充実し、利便性に優れた緑豊かな環境です。

三宿通りには、おいしいお店やおしゃれな雑貨屋などが立ち並び、散策するのも楽しい街。渋谷や青山、代官山、中目黒などへも自転車で行ける距離で、都心からも近いため、音楽業界・出版広告業界で働く人や芸能人なども多く住んでいます。

三宿神社/PIXTA

↓その答えは?

読み「みしゅく」

三宿(みしゅく)は、世田谷区東部に位置し、田園都市線の「池尻大橋」や「三軒茶屋」が最寄り駅の世田谷公園近くの人気エリアです。

この付近は、江戸時代幕末の頃まで「蛇池」や「龍池」と呼ばれていた池があり、水の宿る地「水宿」から転じて「三宿」と呼ばれるようになりました。

碑文谷(目黒区)

最寄駅周辺の商店街には、おいしいお店やスーパー、本屋、薬局などが揃っており、目黒通りにはおしゃれなカフェやインテリアショップも建ち並んで利便性に優れています。

自然豊かな碑文谷公園、歴史的建造物のサレジオ教会なども有名で、老若男女住みやすい高級住宅街です。

碑文谷公園

↓その答えは?

読み「ひもんや」

住みたい沿線として人気の高い東急東横線「学芸大学」や「都立大学」、東急目黒線「西小山」が最寄り駅の碑文谷(ひもんや)。碑文谷はかつて東京府荏原郡にあった碑文谷村です。

地名の由来は、碑文谷村がそのまま町名となった説、碑文谷八幡宮境内に保存されている「碑文谷石」が起源という説、鎌倉・室町時代から檜物(ひもの ※ヒノキを使った曲げ物)作りが盛んであった説など、諸説あります。

行ったことがないエリアには意外と読めなかった地名もあるのではないでしょうか。

思わぬところで戸惑わないためにも、読めるようになっておくとよいですね。

次回の難読地名コラムもどうぞお楽しみに!

(最終更新日:2020.07.21)
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