【ARUHIアワード12月期優秀作品】『優しさに染まるとき』辻本羽音

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「え、なにこれ?」
「夕日」
「夕日ってオレンジじゃないの?」
「瞳は頭が堅いなぁー、青色でもいいんだよ」
 結衣はそう言って得意げに微笑みながら、水彩紙のスケッチブックをめくる。どのページにも色鮮やかな絵が描かれていて、どれも個性的なタッチだった。ただ、見ているだけでは何をモチーフにしているのかまったく分からない。瞳はページがめくられていくたびに首を傾げる。
「この白いのは?」
「川」
「四角いやつは?」
「りんご」
 当然と言わんばかりに胸を張っている結衣に、瞳は苦笑いを浮かべた。もしかしたら同じ景色を見ているつもりでも、二人の目には違ったものが映っているのかもしれない。
 結衣の手からスケッチブックを取り、正面からじっとその絵を見つめてみる。どれだけ真剣に向き合っても絵の意味を汲み取ることはできないが、不思議といい絵だと感じられるから不思議だ。
「難しいね」
「まあ天才画家の絵ですからねー」
 結衣はよく自分のことを「天才」と言う。けっして嫌味ではなく素で言っているのだ。これは結衣の口癖で、なにかあるとすぐに自分を「天才」と表現したがる。長い付き合いの瞳は特に気にしていなかったが、中には自信家な結衣をよく思わない人もいた。人からの嫌悪に鈍感な結衣らしい口癖なのだ。
 いつもと変わらない様子の結衣に、瞳はまた苦笑いしてスケッチブックを返した。そして床に散乱した別のスケッチブックたちを拾い始める。小さなものから大きなものまでさまざまである。
「全部持ってくの?」
「うん、世界でも受け入れてもらえるか試してみたいし」
「……世界ねえ」
 瞳はぽつりと呟き、一枚の絵を手に取った。そこに描かれていたのはパリのシンボル、エッフェル塔。今まで見てきた絵のタッチと異なる、まるで写真の様に精密な絵だった。細かい骨組みの部分まで繊細に描かれている。いったいどれだけの時間をかけたのだろうか。
 そんな結衣の描いたエッフェル塔を見て、瞳はつい最近の出来事を思い出す。
「私パリに行こうと思うんだけど、いいかな?」
 妙にはっきりとした口調でそう言った結衣の姿が印象に残っている。瞳は結衣の言葉ではなく、その表情に驚いた。童顔で、子どものようにへらっと笑う結衣が真剣な顔をしていたからだ。瞳の中の結衣は、高校一年の頃からまったく変わっていなかったが、それはただ気づいていなかっただけで、確かに時は流れていたのだと改めて思い知った。
「いいかなじゃないでしょ」
「え?」
「パリに行くから準備よろしく、じゃないの?」
 瞳は笑いながら椅子に座り、結衣を手招きした。テーブルには美味しそうなオムライスが二人分置いてあった。結衣は夕食前になんの前触れもなく大事な話を始めたのだ。
 結衣は手招きに誘われて椅子に座り、二人は黙々とオムライスを食べ始めた。まるで何もなかったかのように日常へ戻ったのだ。瞳はあの時のオムライスの味をどうしても思い出せずにいる。平然を装ってはいたが、本当はとても動揺していたのだ。そして今も、動揺は収まっていない。
「瞳?」
 結衣に声をかけられ瞳は我に返った。
「なに?」
「いやなんか、ぼーっとしてたから」
「別に、ちょっと眠いだけ」
 瞳はわざとらしくあくびをして眠たいアピールする。けっして上手い演技とは言えなかったが結衣はまったく疑わず、つられてあくびをした。
 それから二人は、ときどき大きく脱線しながらも片付けを続けた。高校の卒業アルバムが出てきて、「瞳の写真が全部無表情」だとか「相川瞳と渡辺結衣で出席番号が最初と最後」だとか、そんなたわいない話をする。
 学生時代から瞳と結衣は正反対だった。出席番号だけではなく、猫派か犬派か、和食派か洋食派か、辛党か甘党か。一度も意見があったことがない。そんな交わらない二人が同じ家で過ごした時間は、お互いにとって一生の宝物になっている。

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