【ARUHIアワード12月期優秀作品】『移りゆくとき、変わらないもの』飯島望

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 その朝、珍しく早起きした息子が、墓参りをしたいと言い出した。
「お墓?」と、寝起きでぼんやりとした頭のままわたしは聞いた。「誰の?」
「トルくんの」
 トルくん? と一瞬思ったが、すぐに「ああ」と思い当たった。
 もう半年も経ったんだ、と思うと同時に、子供というのはよくそんなことを覚えているものだ、と感心もした。

 半年前にあたる十一月の今日、うちで飼っていたミドリガメのトルくんが死んだ。
 飼いはじめて一年も経っていなかったが、息子はよくかわいがっていた。庭に続く窓の横に、カーテンに隠れるようにして置かれた小さな水槽の前で、息子はなにも言わずに背をまるめている。毎日決まった時間にえさを与え、水が少しでも濁っていたら水をかえる。あとは、ただ見ているだけだ。飼い主に見られているのを知ってか知らずか、小さなトルくんは水槽内の岩の上にのぼってじいっとしていたり、首を上に伸ばしたりして長い時間を過ごしている。
 最初のうちはわたしも世話を手伝ったが、息子はすぐに要領をつかみ、こちらから言うまでもなく、ひとりで面倒をみるようになった。小学三年生の、まだまだ世話をされる側である息子が、カメの飼育をせっせとこなしているのは、見ていてなんだかおかしい。わたしはよく、夕食準備前のキッチンテーブルで頬杖をついて、息子が水槽を中心にぱたぱたと動きまわっているようすを見守っていたものだ。
「やあ」と、息子が学校に行っている時間に、わたしはトルくんに話しかける。「トルくん、うちは居心地がいいかな」
 トルくんはお気に入りである岩の上で、首を伸ばしてこちらを向いている。返事はないが、声(カメにとっては、それは居住空間におけるただの音なのかもしれないけれど)の主が誰であるのかを見定めようとしているようにも見える。
「残念だけど、ご主人はまだ帰ってきてないよ」と言ってから、本来の主人はわたしなのではないかという疑念が生じる。まあ、どちらでもいいことなのだけれど。
「きみもよく、そうして見ているね」とわたしは言う。「きみにはどう見えてるのかな。うちの子は、さ」
 やっぱり、返事も反応もない。だからわたしはひとりごとを言ったときのように、照れて笑うしかないのだった。
 トルくんの死因は熱だった。十一月になり寒くなってきたので、そろそろヒーターを入れなくちゃね、と話していたのだ。そのヒーターが、もともと不良品だったのか、操作や設置の仕方をどこか間違えていたのかはわからない。とにかく結果として、ヒーターを入れた次の日の朝、ほとんど熱湯となった水槽の中で腹を上に向けて浮かんでいるトルくんが発見された。それを発見した息子は顔を真っ赤にして、なんとかしてよと喚きながらわたしの服に引っ付いた。しかしどのように考えても、もうどうすることもできなかった。
 新しいカメを買ってあげるから、とわたしは言ったが、息子は頑なに、トルくんじゃなきゃ嫌だ、とべそをかき続けた。いくら待ってもそのまま動こうとしないので、わたしは一人でトルくんを庭に埋めた。土の上には、水槽に入れていた岩を置いておいた。
 翌日、朝から姿を見ないなと思っていた息子は、ずっと庭の片隅に座り込んでいた。以前までは水槽の前でそうしていたように、背をまるめて、膝の上に手を置いて、じいっと、目の前のものに視線を注ぎ続けていた。

 年が明けるまでは、息子がときどき庭に出て墓参りをしている姿をよく見かけた。けれど日が経つにつれて、息子は庭に出ない日も増えてきて、かといって新しいカメを飼いたいとも言い出さず、このままトルくんを飼いはじめる前の生活に戻っていくのかと思われた。

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