【ARUHIアワード12月期優秀作品】『我が家のツリー』黒藪千代

何事でもなかった事にほっとしながら、何かを言いたくて電話してきたのだろうと察した。
「あと少しだね(新居の完成まで)」
言葉を選んでいるような、遠慮しているような言い方に息子のやさしさを感じる。
うん、うんと酔った息子の言葉をひとつひとつ丁寧に聞いた。
「オカン、頼むよ。上手くやってくれよな」
話の流れから、先輩に親との同居の難しさを聞いたらしいと察した。
彼女とちゃんと話して決めたと言っていた、あの日に見せた強い姿勢の中に、本心では不安もたくさんあったのだと思い至ると、胸が詰まった。
それでもこの同居を成功させたいと願ってくれている息子に私は全力で答えたいと強く思った。
「うん。わかったよ。大丈夫」
またねと電話を切ると、深夜の静けさが何とも温かく感じた。

 二人の子供たちと過ごした、長くも短くも感じる日々を、思い出の品と共に巡る断捨離。
古い団地の造りは昔ながらの建築で、押入れも広くその上には戸袋の収納スペースもあった。使わなくなったものが所狭しとしまい込んであり、ひとつひとつ取り出す品と一緒に、思い出がよみがえった。
 椅子に登って建付けの悪くなった戸袋の引き戸を力いっぱい開けると、もわっとしたホコリに思わず目を閉じ息を止めた。
顔の前で片手をブンブン振り回してホコリを払ってから目をあけると、そこには赤と緑の絵柄がついた(横に細長い箱)が。
高さ180㎝のクリスマスツリーである事を頭の中で確認すると、目まぐるしい速さで遠い日が蘇る。

 二人の子供達と、家族三人になって初めてのクリスマスを数日後に控えた土曜の朝。ブザーの音に玄関を開けると、宅配便のお兄さんが元気な声と笑顔で大きな荷物を両手で抱えて現れた。
パジャマ姿のまま朝食の最中だった子供たちは、箸を持ったまま狭い玄関に置かれた大きな箱に歓喜の声を上げた。
「お母さん、何て読むの?」
子供達が覗き込んだ宛名書きには、実家の住所と父の名前が記載されていた。
「おじいちゃんからみたい」
宛名に書かれた震えた文字は、確かに父の筆跡だった。

 何の相談もせずに(離婚した)と事後報告した時、両親はとても怒っていた。勝手に決めたのだから、勝手に苦労すればいいと言われ、それ以来なんとなく実家から足が遠くなっていた。
自分にはもう帰る場所はないのだと、心細さに押しつぶされそうだった。一人でもやっていける、大丈夫、大丈夫と毎日自分に言い聞かせていた。
両親を怒らせたのは自分なのに、身勝手にも両親の言い分に反発していた自分もいた。
それなのに。
キツイ言葉を向けた両親の気持ちとその裏にあった心配を知り、こみ上げる涙を堪えた。
「開けてごらん」
嬉しそうに私を見上げる子供達に言う。ビリビリと包装紙が破ける音が玄関に満ちる。やがて開かれた箱の中から、深緑を豊満にしたためた大きなツリーが登場した。
(飾りは子供達と選んで買いなさい)ツリーの下には、封筒に入った震える文字のメモ書きとデパートの商品券が入っていた。
その日のうちに飾りを購入し、夕方近くになってやっとツリーの飾りつけが終わった。
低い天井に届きそうなくらい大きなツリーが、いつでも見守ってくれている父の姿と重なる。
狭いながらも楽しい我が家に、子供達の喜ぶ顔が幾重にも広がって、何よりも嬉しいクリスマスプレゼントになった。

その翌年、父は娘がランドセルを背負う前に亡くなった。
二人の子供達が小学校を卒業するまで、我が家では毎年クリスマスに大きなツリーが登場した。その度に父の顔が浮かび、見守られている事を心に刻む。だからこそやって来られたこの二十年余り。
今でも大きなツリーは私にとって父そのものに違いなかった。
 引っ越しのために始めた断捨離で迷わず残した大きなツリーは、今年、新居で初めてのクリスマスを迎える。

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