アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「待ち合わせでもしているの? ずいぶん落ち着かない様子だけど」
 何度もスマホを取り出して時間を確認していたせいか、そんな風に声を掛けられた。びくりと肩を震わせて、望美はちらりと顔を向けると、老婆は申し訳なさそうに首をすくめた。
「気になったから、つい聞いちゃった。いやねえ。年寄りはすぐ声に出して。ごめんなさいね」そういって小さく息を吐いた。
「どうしたって、落ち着かないわねえ。こんな場所に閉じ込められてるんだから」
 望美の手を伸ばせば、老婆の肩に届くだろう。二人が閉じ込められているのは、四角く閉ざされた場所。といっても、何も特別な場所じゃない。マンションのエレベーターの中だ。

 大学四年生の望美は、就職活動を始めたばかりだった。季節はすでに冬の気配を漂わせ、望美のまわりは内定が決まった同期がほとんど。卒業旅行の計画を立てアルバイトに明け暮れていた。
 そんな学友達を横目にしながら、望美は悩み続けていた。望美は就職せずに、大学院に進みたかった。大学院の入試は夏から秋にかけて行われる。どうにか両親を説得できないか、出願ぎりぎりまで食い下がっていたものの、結局認められずに、しぶしぶ就職活動へと舵を切ったところだ。
 今日も、午後に説明会の予約が入っていたのに、こんなところで足止めをくらうなんて。もともと足取りが重かったんだから、無理もないかと望美は自嘲気味だった。

「待ち合わせ、というより就職活動中で……」
 望美は老婆に向かって、ごにょごにょと言い訳のような説明を口にした。老婆は「いやだ、大変じゃない。急いでるんでしょう?」と望美が言い終わらないうちに、少し慌てるような仕草を見せた。
 老婆は行き先階ボタンの上部に設置された「非常用ボタン」を再び押した。しかし、そのボタンはどこかにつながることもなく、老婆がボタンから指を離した瞬間にカチッという音だけが響いていた。老婆は小さくため息をつきながら「……待つしかないみたい。電気はついてるし、どこかには繋がっているだろうけど」と、望美に向かって肩をすくめた。
 何度か見かけたことはあったけれど、望美はこの老婆と声を交わすのは初めてだ。あまり気にしたことはなかったけれど、エントランスですれ違い会釈する程度だ。七十代くらいに見えるその老婆は、上品な身なりをしていた。姿勢も良くて、着物姿を見かけたこともあった。だけど、いつも一人だった。誰かと一緒、例えば旦那さんとか、娘さんや息子さんの思われる人はそばにいなかった。とはいえ、頻繁に顔を合わせていたわけでもないし、エレベーターで乗り合わせたのは今日が初めてだ。七階から望美が乗り込んだ時にはすでに乗っていたので、八階か、九階に住んでいるのだろう。
 狭い空間で黙り込んでいるのも気まずくて、望美は「あの、何階にお住まいですか?」と声をかけた。老婆は少し顔を上げ、少し考えるような表情をしてから「私は八階に部屋があるの」と答えた。望美は「あ、そうなんですね」と答えると、そのあとの言葉を続けられなかった。老婆はなんとなくこの話題を避けたがっているようにも思えたし、これ以上話題を広げられないようにも思ったからだ。望美が下を向いて黙ってしまうと、今度は老婆から話しかけてきた。
「就職活動中ということは、今は学生さんね?」
「はい。今大学四年生で、春からは社会人になる予定ですけど……」ここまでいうと望美は言い淀んでしまって、うまく言葉を続けられなかった。ただ、それでも老婆は何か察してくれたらしい。

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