【ARUHIアワード11月期優秀作品】『どうでもいいような嘘をついてしまう』もりまりこ

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた11月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 さよならをずっと先延ばしにしている。
 そのことが、光のこころのどこかに巣食ってしまっている。
 滉も同じ思いの中にいるのか光は確かめるすべもないし、そうすることがどこか、まだ早いのかもしれないと言い訳のひとつにしてしまっていた。
 会社の制服の胸元についている名前のプレートを見る度に、どうしてじぶんの名前が光と書いてあきらと読ませたかったのか、生後10か月で死んでしまった自分の父親と母親に聞きたい気持ちが湧いてきて、こころがくもる。
 じぶんがあきらじゃなかったら、須賀滉と知り合うこともなかったかもしれないと思う。あ、同じ名前ですね、みたいなきわめて初歩的な社交から8年も続いてしまうなんて、じぶんたちはどうかしている。
 光はもともとはデパートの総務部だったはずなのに、入社間もなく外商部に配属になってしまって、戸惑った。外商部はほとんど男子が多くて、女子高女子大育ちの光にとっては、思ったよりもハードルの高い環境だった。それに加えて、資産を抱えた目の肥えたご婦人方に宝飾品などを奨める時など、じぶんの外側に張り付いているメッキのようなものが音をたてて剥がれていくような感じがしてならなかった。

 ジュエリーフェアが開催されている花菱ホテルの<鳳凰の間>。
 光はこの仕事向いてないって思いながら、緊張した足取りでフロアを歩いてそっと休憩所に向かった。
「その口元っていうか顔、いいね」
 滉が突然、先に休憩していたらしいパーテーションの中から声をかけてきた。
「顔?」
「先輩に教わった? いつも笑いなさいって?」
 光はなんだろうこの人って思って、怪訝な顔をしたと思う。
「笑ってませんよ、初めてでいきなり現場で、こんなにてんぱってるのに」
 滉はその言葉を即座に否定した。否定しながら微笑んで「だから、悪い意味で言ってないって。接客の時に笑顔でいるっていいなって思ってさ」
 滉は外商主催のフェアでは、常連のジュエリー会社の営業担当だった。
 この仕事についてもう5年先輩だったので、ホテルであろうとどこであろうと身のこなしが、滑らかだった。
 ジュエリーのブース内では、訪れたお客さんの指先に指輪をはめる時の所作など、すべて立ち居振る舞いがやわらかく安心感を抱かせすぎてるところが、光は、苦手だった。たぶんそんな第一印象だったかもしれない。
 たまに休みの日にコンビニで、どうでもいいフリースを来てる時に限って、仕事帰りなのにスーツが決まっている男の人に、ドアを譲られた時に感じる引け目に似て。

「あ、ひかりさんっていうんだ」
 滉の視線がネームプレートをみていることに気づいて、「あきらって読みます」ってぶっきらぼうに答えたら滉は「いっしょいっしょ。おれもあきら。え? 奇遇じゃね。今日いいことありそう」って接客の時には見せない無邪気さで喜んだ。あの時のそんなに嬉しいか? っていうぐらいの無垢な笑いに、光は安堵して、その安堵感に埋もれるのも悪くないような気がしたのだ。仕事の不安をもしかしたら滉で埋めようとしていたのかもしれない。
 
 ずいぶんと昔のことを憶えてるなって、光は呆れる。
 近頃、光はほんとうはやりたいことがあったかもしれないのに、日々を無為に過ごしてしまったのではないかと悩んでいた。好きな仕事に就くんじゃなくて、就いた仕事が好きになるんだよって、よく祖母が話してくれていた。ただひたすらにそのことを信じていたけれど。今はそれでよかったのかどうかわからない。仕事だけじゃない。滉とのことに対してもそうだった。
 滉に対してどれぐらい今誠実でいるか。そういうことに自信が持てなくなっていた。
 どうでもいいような嘘を滉についてしまう。大きな嘘じゃなくて、なんでもないような嘘。どっちが罪なのか誰も教えてくれないけれど、光はその答えにうすうす気づいている。どうでもいいような嘘ほど、かなり罪深いことを。

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