【ARUHIアワード11月期優秀作品】『桜の家』ウダ・タマキ

 お盆になるとホームはいつもより少し賑やかな時を迎える。家族が会いに来たり、一時外泊のため、お迎えに来る家族の出入りが続くからだ。
私の場合は前者で、娘夫婦が孫を連れてやって来たが、僅か一時間ほどの滞在だった。
 愛想もへったくれもない。季節行事をこなしているようにしか思えなかったが私なんかはまだマシな方で、サヨちゃんに至っては誰も会いに来る者はいなかった。

「サヨちゃん、息子さん達は来ないの?」
「さあねぇ……よし、スタート!」
 サヨちゃんの手から放たれた木の葉が静かに川面に着水する。私もそれに続いて木の葉を浮かべた。

「サヨちゃんは、寂しくないの?」
「寂しくないよ」
「どうして?」
「だって、ユキちゃんがいるじゃない。それに、色々と考えても仕方ないでしょ」
「そうね」と返して私は笑った。
 川の流れに身を任せた二枚の木の葉は、時に激流に飲み込まれては再びその姿を現し、流れに抗うことなく下流へと向かってゆくのだった。

 私は静まり返った食堂でメダカを眺めていた。
「川上さんは明後日まで息子さん宅だって」
 人気の無い所からの突然の声に私は腰を抜かしそうになった。
「ごめんなさい、驚かせちゃった」
「全く気配が無いものだからびっくりしたわよ!」
「あら、ごめんなさい!心臓が止まらなくて良かったぁ」
 小森さんはおどけて私に抱きついた。
「もう大丈夫」と私は胸に右手を当てて呼吸を整える。
「川上さん、息子さんが迎えに来たんだけど少し様子がおかしかったのよ。息子さん、えらく怒ってて」
「急に行かないとか言い出したんじゃないのかしら、あの人のことだから」
 その光景は想像するに難くなかった。
「あり得るわね、それ。さすが北本さん」
 ドアの閉まる音が聞こえ、足音がこちらへ向かって来ることが分かると、小森さんは慌ててモップをかけながら少しずつ私から遠ざかった。
「北本さん、ちょうど良かったです。少しお時間よろしいですか」
 それはホーム長の峰岸さんだった。峰岸さんは無精髭に手を当てながら遠慮気味に言った。
「はぁ、構いませんが……何かありましたかね」
「ちょっと、こちらで」と峰岸さんは私を面談室へと招いた。
「すみませんね、突然」
 私達はテーブルを挟んでソファーに向かい合って座った。峰岸さんの背後の窓外には、緑の葉がそよ風に揺れている。
「実はですね……」
 峰岸さんは体を前に倒し声のトーンを落として切り出した。私は何事かと息を呑み、つられて前傾姿勢をとった。
「川上さんの件なんですが、見つかったみたいなんです、財布。ベッドのマットレスの下にあったそうで。たまたま息子さんが見つけたんです」
 峰岸さんはまるで自分が悪いことをしたかのように神妙な面持ちである。
「そうですか、それなら良かったです」
 言葉にした通りだった。それ以外の感情は私の中には何も現れず、ただ素直にそう思った。
「そこで、相談なんです……今回のことをどう解決するか……息子さんもこんなに事を大きくして、この先もここに居て良いものか悩まれていまして。もちろん、川上さんも反省しています」
 なるほど、それで息子さんが怒っていたというわけだ。
「それでしたら、まず川上さんから吉岡さんに謝罪をして頂いて下さい。一番の被害者は彼女ですし、川上さんにもそれをご理解頂きたいのです」
「そうですね、分かりました」
「他の入居者の方々には、申し訳ありませんが峰岸さんからご説明頂けますか? ただし、決して川上さんが悪者とならないよう、うまく取り繕って頂きたい」
「はい」と大きく頷いた峰岸さんの表情は、さっきより幾分か緊張が和らいで見えた。
「誰も嫌な思いをせず、ここではみんなが仲良く幸せに暮らしていきたいんです」
「おっしゃる通りです。そのために尽力するのが私の仕事です」
「よろしくお願いします」
「分かりました」
 峰岸さんは深々と頭を下げた。

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