【ARUHIアワード11月期優秀作品】『今日、家の前で猫と会った』白尾ケン

「僕、あんまり人とコミュニケーション取るのが苦手なんです」
 鈴木さんの顔を見ずに、なんとなく下を向いて言った。
「大学入って変わるぞ、って思ってたんですけどね。でも、鈴木さんは話しやすくて。だから……ありがとうございます」
 柄にもないことを言ってしまった。口説いてる、と思われるだろうか。そうした不安が僕の顔に現れる直前、彼女は言った。
「感謝されることは何もしてないよ」
 優しい笑顔だった。
「というか、私も前はあんまり人付き合い苦手だったしね」
「そうなんですか」
「大学入って少しずつ変わったの。だからそんな気にすることないよ」
「なんで、変わったんですか?」 僕はやけに神妙なトーンで彼女に尋ねた。
「人と会ったからかな? 分かんない。それじゃあね! おやすみなさい」
「あ、おやすみなさい」
 もう少し話をしたかったけど、鈴木さんは玄関のドアを開けて入ってしまった。自由な人だ。
 ねこ助は相変わらず、のんびりとまどろんでいる。


 自分も少しして部屋に戻ると、ふと、どこかに行ってしまった髪染め剤を思い出した。たしか前に本棚の隙間に入れておいたはずなのに。
 一度気になってしまうと、どうしても忘れられない性なので、僕は家の中をくまなく探しはじめた。クローゼットの奥や、シンクの上の棚、絶対にあるわけない場所も探したのに、全く見つからない。
 またいつか見つかるだろう。そう思って探すのをやめようとした時、僕は衣装ケースの一番下にあった、この春に買った黒い表紙の日記を見つけた。新宿の一番大きな文房具店で買ったもので、その時は毎日書こうと意気込んでいたのに、結局一度も書かずに存在すら忘れてしまっていた。何も書かれていない日記をパラパラとめくると、僕の関心は、髪染め剤よりも日記に向かっていた。
「日記でも書いてみるか……」
 僕はそう独り言を呟いて、テーブルに座って日記を書き始めた。早速、今日の出来事を書こう。タイトルはどうしようか。一瞬考えた後、僕はこう書いた。

「今日、家の前で猫と会った」 

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