【ARUHIアワード11月期優秀作品】『とりどりの場所』村崎えん

「やっぱりお客さん、減ってるんですかね」
 奥さんの作ってくれたチョコレートケーキは、甘さ控えめですっきりと美味しい。ゆっくり大事に食べていたはずなのに、いつの間にかもう僅か。
「私が働き始めた頃と・・・・・・どうだろう。あんまり変わらない気がするんですけど。思い出せなくて」
 伝票の整理をする丸い背中に向かって言い、最後の一口を頬張る。
「あら、ののちゃんが来てくれたのなんて、つい最近じゃなあい?」
「もう七年経ちますよ」
「七年なんて最近のうちよ」
「そうですか?」
 丸い小さな背中が揺れるのを、熱々の紅茶の湯気越しに眺めながら、私も笑う。
「国道に大きな本屋さんがあったでしょう?あそこ、潰れたんですってね。常連さんが教えてくれたのよ。私、あの辺りあまり行かないから」
「ああ、あそこ……でもだからって、うちのお客さんが増えるってことでもないんですかね」
「そうねえ。うちは変わらずよ。変わらずと言っても昔は・・・・・・ここができた頃は、小さい店にお客さんがぎゅうぎゅうでねえ。今とじゃ考えられないくらい忙しかったわよ。・・・・・・あ、そうだ」
 奥さんは引き出しを開けると、中から何か取り出した。
「いいもの見せてあげる。昨日ね、整理してたら出てきたの」
 差し出されたのは古い白黒写真だった。色が剥げ、それ自体が白く発光しているように見える。
「これは?」
「やだ、わからない?この店よ。開店した頃に撮ったの。ほらここに、私と主人が写ってる」
 奥さんの優しげな指がさした場所には、本当だ、背筋を伸ばした若い夫婦が写っていた。
「この店をやろうって決めたときねえ、あの人、ここを自分の家だと思おうって。自分の家の本棚だと思えば、大事に真面目に、丁寧に、やるだろうって。口癖みたいにね、いつも」
「なんにも変わらないですね」
 自分の声が、耳に不思議に響く。そんなこと言おうとも思っていないのに、なんでだろう、勝手に口が動いていた。
「変わることも大切だけど、変わらないことも大切ね」
 奥さんは写真を大切そうに撫でると、姿勢を戻し、伝票整理の続きを始める。
「郵便でーす」
 レジの方から声がする。店長はいないのだろうか。
「はーい」
 休憩室の戸を開けて、顔なじみの郵便屋さんから封筒の束を受け取る。
 休憩室へと戻ろうと体の向きを変えた瞬間、通路に面した棚をじっと見つめる店長の姿が見えた。
たまにああして棚と「会話」するのだと、いつか、奥さんが言っていたっけ。

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