【ARUHIアワード11月期優秀作品】『# home』村田謙一郎

 地面から生えているアマワラビを根本から折って、肩に背負ったカゴに入れていく。中腰がなまった体につらい。私の前にいる優子の父親は、同じ作業を倍以上のスピードでこなしていく。
「アマワラビってのは、普通のワラビよりもアクが少なくて、ほのかな甘みがあって食べやすいんだ。生でサラダにしてもいいし、煮物やおひたし、酢の物、なんでもいける」
 父親は時々私の方を振り返って、嬉しそうにワラビの説明をする。汗が額から首筋へと流れ落ちるが、なんだかそれが心地いい。
 作業を終えた私たちは、畑の脇のアウトドアチェアに座って休憩をとった。水色のスニーカーに土が付いているが、なぜかそれを汚いと思わなかった。
 やがて、水道で収穫物を洗っていた母親が「お待たせー」とザルに乗ったアマワラビを持ってきた。グリーンは鮮やかさを増し、茎はうっすらと紫を帯びている。 
「ガブッといってちょうだい。アクがないから、そのまま何もつけないで丸かじりしても大丈夫」
 私は一本のアマワラビを手に取り、頭からひとかじりする。口の中に甘い香りが広がり、野菜汁が口の端からこぼれたが、構わずそのまま噛み続ける。
「……おいしい」
 母親は満面の笑みを浮かべ、アマワラビを口に入れた。父親、そして優子も。
 私は一本、また一本とワラビを味わう。なんでこんなに美味しいんだろう。なんでこの人たちは、こんなに……また、何かが込み上げてくる。
「あらあら、涙が出るほどおいしかったのかい。ありがとね」
 母親の言葉に、優子と父親が私を見る。恥ずかしかったけど、私は今度は下を向かなかった。頬を伝った涙が口に入り、アマワラビの甘味に塩味が少々ブレンドされた。降り注ぐ日差しに、穏やかな時間が流れていく。

 家の前には自転車が一台止まっていた。そうだ、今日は店の定休日だった。
 私は玄関のドアに手をかける。鍵はかかっていない。マンションの時の用心深さはここにはもうない。
 靴を脱いで台所へ行くと、母は包丁でジャガイモを切っていた。
「……どうしたの?」
「早退してきた」。何か言い訳を考えたけど、思い浮かばなかったので、そのまま伝える。もっとも無許可の早退だけど。
「これ、おみやげ」と、手にしたビニール袋をテーブルに置く。
「おみやげ?」と、母は不思議そうな顔で袋を開け、中を見た。
「え、ワラビ?……何、これって」
「お母さん、私にも啖呵切らせてくれる?」
「え」
 私はまっすぐに母を見た。
「連れてこられたんじゃない。私がついてきたの。私、生きていくから……この街で、お母さんと」
「……さやか」
「それと、家のリニューアルもしたいな。もちろんお金はかけずに。この家はボロ屋だけど、そこが味でもあると思うの。それを活かした上で、自分たち好みにカスタマイズするの、どう?」
 迷いながらだと途中でやめちゃいそうなので、私は一気に思いを伝えた。母はなんだかよくわからない勢いに押されたのか、「うん」と一言だけ答えた。
「ちょっと、自転車借りるね」
 私はそう言って家を出て、自転車にまたがった。ペダルを踏み込み、スピードをあげる。
心地いい風に吹かれて、いつもの風景が、いつもと違う色で流れていく。

 そして今朝は筋肉痛で目が覚めた。畑仕事に自転車での全力疾走。その代償としてのこの心地いい痛みは悪くない。
 スマホの電源を入れる。SNSの画面には、ひまわり畑や農園、花々、商店街、水車、清流、滝などの風景が並んでいる。ハッシュタグは[#home]。そして、どの写真にも[いいね]が1。
 台所のテーブルのカゴには、クロワッサンが積まれていた。私はフルーツジュースと一緒に、そのバターの風味をゆっくりと味わった。
 家を出て、高校へと続く道を歩き出す。今日も日差しがまぶしい。……ホーム、ここは私のホームタウン。やがて後ろからいつもの足音が聞こえてきた。私は先を越されないよう振り返って叫んだ。
「おはよう!」

「ARUHIアワード」11月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」10月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」9月期の優秀作品一覧はこちら 
※ページが切り替わらない場合はオリジナルサイトで再度お試しください

※本記事の掲載内容は執筆時点の情報に基づき作成されています。公開後に制度・内容が変更される場合がありますので、それぞれのホームページなどで最新情報の確認をお願いします。
~こんな記事も読まれています~

この記事が気に入ったらシェア