【ARUHIアワード11月期優秀作品】『おばあちゃんのカレンダー』宮沢早紀

「ねえ、一旦こっち手伝って。ソファ出しちゃいたいから」
首に巻いたタオルで汗をぬぐいながら実香子が実樹を呼んだ。深緑色の布張りのソファは真ん中が谷のように沈み、破れたところから中の綿が飛び出していた。天寿を全うするソファの見本のようだ、と実樹は思った。
「せーの」
実香子は大袈裟に掛け声を出す。先ほどから動き回っていたせいか、その額には汗が滲んでいた。ソファを持ち上げた時、実樹の視界の隅に何か紙のようなもの落ちているのが見えたが、後で掃除すれば良いかとそのままソファを運んだ。実樹にはボロボロのソファが軽く感じられた。使い古され、時が経つ中で徐々に軽くなっていったのではないかと思えた。
 2人が外に出ると、いつの間にか家の前には父の俊樹が車で来ていた。実香子に頼まれ、荷物をリサイクルショップへ持っていく係を任命されたようだ。
「おじいちゃんの本はどこかな?」
「居間にまとめたよ、2箱」
「分かった」
実樹と短い会話を交わした後、俊樹は段ボール箱を車のトランクに運び入れた。トランクからは後部座席に多当紙に包まれた祖母の着物が重ねてあるのが見えた。古い型の炊飯器や花瓶など、引き取ってもらえるだけありがたいようなガラクタも後部座席の足元に置かれていた。「祖母の家」を構成していたパーツが一つ、また一つとなくなっていく。確実に片付けは進んでいた。実樹はこの家で暮らしたことはなく、ただ遊びにきていただけだったが、徐々にさみしさがこみ上げてきた。
「査定に時間がかかるようだったら一度戻ってきて。ダイニングテーブル運んじゃいたい」
「また連絡する」
「粗大ごみの回収、明日の朝だから」
「うん」
「じゃ、気を付けて」
感傷に浸る実樹をよそに実香子はてきぱきと俊樹に指示を出している。いちいち感傷に浸っていたのでは一向に片付かないからだろうか、知らないところでひっそりと感傷に浸ったのだろうか…実樹には分からなかったが、責任を持ってこの家をきれいに片付けようと思ったのだった。はっと我に返り、顔を上げると俊樹の運転する車が角を曲がるのが見えた。
「疲れた?ちょっと休憩する?」
「そうしますか」
実樹と実香子は家の中に入った。椅子は全て外に出してしまった上に室内は埃っぽかったので、玄関の上がり框に腰掛けて休憩した。実香子は小さな保冷バッグからペットボトルのお茶と手作りのプリンを出した。キャラメル味のプリンは昔懐かしい味がした。そう言えば、よくおやつに作ってもらっていた。市販の調味料を牛乳と熱湯で混ぜて簡単に作れるため、実樹がリクエストすると実香子は何も言わずに作ってくれたのだった。懐かしさとプリンの甘さが実樹の疲れた体を癒した。ゆっくりと味わう実樹と対照的にぺろりとプリンを平らげた実香子は立ち上がり、帚とちり取りを手に中へ入っていった。
「ゆっくり食べてて。さっきソファどけた所だけ掃除しちゃうわ」
実樹はスマートフォンを出すと届いていたメッセージに返信しようとした。すると、掃除をしにいったはずの実香子がすぐに戻ってきた。
「ちょっと実樹、これ見てよ」
そう話す実香子の手には壁掛けのカレンダーが握られている。
「え、何?カレンダー?」
「ソファの下に落ちてたの」
「あ、さっき運んだ時見えたような気もするけど、いつの?」
「去年のだわ。ソファの後ろの壁に掛けてたのが落ちちゃったみたい。画鋲も落ちてた」
「踏まなくてよかったね」
特に驚くことでもないと思った実樹は適当に会話を終わらせて再びスマートフォンを見ようとした。
「違うの、落ちてたのを報告しにきたんじゃなくてさ。ほら、すごくない?」
実香子はカレンダーをパラパラとめくってみせた。日にちごとにマスで区切られたごく一般的なカレンダーだったが、どのマスにも祖母のものと思われる字で書き込みがされていた。
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