【ARUHIアワード10月期優秀作品】『四つ葉のクローバー』ウダ・タマキ

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「これ、大事にするんだよ。素敵なことが結衣に訪れるんだから」
 そう言ってばあちゃんが私に手渡したのは四つ葉のクローバーだった。
「ありがと、可愛い」
 綺麗な緑色をした四つの葉の愛らしさに魅せられた。
 それから、私は四つ葉のクローバーがデザインされたグッズを集めるようになった。Tシャツ、靴下、マグカップに鉛筆……。幼き私の周りには数えきれないほど四つ葉のクローバーが溢れていた。
 だけど、それも小学校高学年になるまでのことで、五年生にもなると好きな歌手のロゴが入ったグッズに一変。四つ葉のクローバーは少しずつ隅の方へ追いやられ、やがて遠い昔の記憶に埋もれていってしまった。
 
 地元の高校を卒業して進学の道を歩む頃。私は故郷から離れ、海の見える街に住んでみたいと考えるようになった。
 私が生まれ育ったのは緑に囲まれた山あいの小さな村だ。村には清流が流れ、田畑には米や四季折々の野菜が育つ。そんな自然豊かな村は海までが遠い。そもそも私の住む県は海に面していないので、私が初めて海を見たのは小学四年生の頃に家族で一泊二日の旅行に行った時。
 その時は、ただ漠然と雄大さと美しさに感動した程度だったけれど、山あいの閉鎖的な村に過ごす少女がやがて大人になると、あの日見た海に恋焦がれるような強い衝動を感じ始めるのだった。
 波に揺れる海面に注ぐ太陽の光がきらきらと輝き、潮の香りと波の音が心地いい街。水平線には世界各国を旅するであろう船が浮かび、次の目的地は何処だろうかなどと、高台から想いを馳せる。その高台には海を一望できるカフェなんてあれば言うことはない。
 私の新しい生活の場を考えた時、そんな理想を叶えてくれる街に住みたくて仕方ないのである。
 この村から通える大学は存在しない。つまり進学する上で、一人暮らしをすることは必須条件なのだ。大学の偏差値なんて気にしない。とにかく私の新しい生活は海のある街が良いのだ。しかし、そんな理想通りの都合の良い場所が簡単に見つかるわけが……あったのだ!
 大学までは原付バイクで三十分、海までは歩いて三分。ワンルームマンションが滅多に無い地域なので昔ながらの長屋ではあるが、家賃はなんと三万円である。お風呂、トイレが付いて、さらにはリノベーションされているので全体的に清潔感がある。隣に住む吉田さんと向かいの浜本さんは一人暮らしのおばあちゃん。「困ったことがあれば何でも言っといで」と、そこらのセキュリティよりずっと心強い。窓を開ければ波の音が聞こえ、ほのかに潮の香りが漂う。理想を遥かに上回る私の新しい生活の場だ。
「一人暮らしなんて大丈夫か」と新聞を広げ、つっけんどんな口調で父さんが言った。
「大丈夫に決まってるでしょ」と私は反抗的な態度で返す。
「月に一回は帰って来なさいよ」なんて、母さんは心配し過ぎなんだよ。
 一番の理解者は、八十歳を過ぎても一人暮らしをしているばあちゃんだった。
「あら、いいねぇ。海の見える街かい、素敵じゃないか」
 ばあちゃんは「素敵」という言葉をよく使う。それは、ばあちゃんが心から良いと思った時にだけ出るのを知っているから私は嬉しかった。
「ばあちゃんだけね、賛成してくれるのは」
「私の生まれは隣の村だろ。目と鼻の先からこちらへ嫁いで来て、ずっとここで過ごしてるんだ。世界が狭いねぇ、私は。だから羨ましいのよ」
 ばあちゃんは長押に掛かるじいちゃんの写真を見上げて笑った。
「結衣、いろんな所へ行っていろんな物を見て、自分の世界を広く持つんだよ。だけど、この村も素敵だ。いつでも帰って来れる場所などあるのは素晴らしいことさ」
「うん、ありがとう」
 形は違うけれど、みんなが私のことを心配してくれる気持ちは同じなのだと実感した。

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