【ARUHIアワード10月期優秀作品】『特上に渋い柿』黒藪千代

 干し柿に夢中になっている祖母の背中が、こちらに振り返るのを待ちながら、透き通る程に磨かれた縁側の窓ガラスを見上げると、真ん丸の月がオレを見下ろしていた。ふと、遠い昔を思い出す。
あの日もそうだった。鼻の奥がむずがゆくなる程に泣きたい気持ちを堪えて祖母の元へ走った。
日の長い夏の夕暮れ。薄っすらと白い三日月がこの縁側から見えていた。
 あれは小学四年の時だった、待ちわびたプール開きの日がやってきた。オレは朝から海パンをはいて水泳キャップを被りランドセルを背負って玄関を出た。もちろん、上半身は裸のままだ。
だってそうだろ!プールにシャツを着て入る人はいないし、プールの時は海パンだけだ。
いってきまーすっといつものように玄関で叫ぶように一声上げて、後ろ手に玄関のドアを閉めた。が、閉まりきらない内に、ガンッと派手な音がして「こらっ―っ!」と母の怒鳴り声が飛んできた。
何事かと怯んで、ビビッて、その弾みに転んでしまった。膝小僧がひりひりと熱を帯びてくるのを感じた。
けど、母の顔の方が怖くて。
鬼の形相で近づいてくる母の手には、ズボンとシャツが握られている。
おばかっ!と一括されて頭を叩かれた。
「なんで服着るの?今日はプールなんだよ」
「当たり前でしょ、恥ずかしいと思わないのかっ、裸にランドセルなんて笑われるよっ!普通じゃないよ!」
裸じゃないし、海パン履いてるし。と思ったけど、口には出来なかった。
半べそになりながら必死に抵抗する小学生のオレを、屁でもないと言わんばかりに、凄い剣幕と力で押さえつけられ無理やり服を着せられた。
そして、その日オレは項垂れたまま擦りむいた膝小僧の痛みに耐え一日を過ごす事になった。
悔しさを噛みしめて過ごした一日。学校から戻り、貯金箱からありったけのお金を持ち出して一人電車に乗った。家出してやると息巻いて。
電車で一駅向こうにある祖母の家へ真っすぐ向かったオレは、鼻息荒く海パン事件の話をした。
「うひゃひゃひゃ、そら、ええことしたなぁ~」
祖母は腹を抱えて豪快に笑った。
「ばあちゃん、プールは海パンで入るもんだよね」
「そやな、海パンや」
そやけど、あんたその時コケてケガしたんやろ?と、祖母はまだ笑い足りないという顔のまま言う。
「うん、だからここ、擦りむいちゃって、プ、プールにぃ・・」
と、それまでずっと我慢していた悔しさが込み上げて、オレは祖母の膝にしがみ付いて泣いた。
朝からずっと痛かったけど、プールの時間になって嬉しくて、勢いよくズボンを下ろしたら、ズボンにくっついていた傷口から血が滲んで、運悪くそれを保健室の先生に見つかってしまって。としゃくりあげながら悔しかった一日をぶちまけた。
ひとしきり泣いてから、ズボンをまくり上げて傷口を見せた。
「あやぁ~、痛そうやなぁ」と言いながら、祖母は笑いを堪えている。
「プールまで、服着とったらコケてもケガせんかったのになぁ」
残念やったなぁと、祖母は今度こそプッと噴き出して笑った。
傑作や、と言いながらバシバシ自分の膝を叩いて笑う祖母を見ていたら、悔しかった思いも、母への怒りもどうでもいいような気がしてきて、思わずプッと噴き出して一緒に笑ってしまった。

 母の言うダメよは、子供の頃から聞きなれていた。
言い返す事も許されない強さがあった。その度、祖母に話を聞いてもらうことでやり過ごして来た。けど、今度ばかりは許しがたい。
自分が一生一緒に過ごしたいと思った大切な人を、躊躇うこともなく悪く言う母に、不満は爆発寸前だった。

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