【ARUHIアワード10月期優秀作品】『流れ流れて』室市雅則

 ルルさんの住まいは少し古びたアパートの二階だった。
「お邪魔します」
 中は1K和室の部屋で、玄関脇の台所のガスコンロには蓋が落とされた鍋があった。
「どうぞ」
 促されて奥へ入ると、カーテンがしっかりと閉められていて、その隙間から入り込む薄明かりが照らす室内にはテレビくらいしか置いてなかった。
 俺はどうすれば良いのか分からず、部屋の端でぼんやりと立っていると、ルルさんが部屋に一つしかない座布団を勧めてくれ、そこに座った。
 ルルさんはテキパキと料理を始めた。
 醤油の匂いが部屋に漂う。そう言えば、外国人の家に入ったのは初めてだ。
「ルルさん、玉こんにゃくなんてよく知っているね」
「お客さんに教えてもらいました。庄内のお客さん、優しい人多い」
「へえ。どうしてルルさんはここへ? 東京とか都会の方が、もっと稼げそうだけど」
「最初、東京に来ました。でも、色々あって庄内来ました」
 はるばる山形の日本海側まで流れてくるとは、余程のことがあったのだろう。彼女も家を遠く離れた旅人なのかもしれない。きちんとアパートがあるだけ人間的だが。
 ルルさんが玉こんにゃくとソース焼きそばを作ってくれた。
「斉藤さん、ビール飲みますか?」
「いや、車だから」
「あ、そうですね。ごめんなさい。私もやめておきます」
「ルルさんは飲んで大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
 俺たちはお茶とビールで乾杯をした。久しぶりに誰かの手作りの料理を食べた。とても美味かった。こんな料理を毎日食べられたらという空想が頭を掠めた。
 ルルさんは職業とは裏腹に、缶ビール1本で顔を赤らめていた。
「斉藤さん、しばらく庄内にどうしていませんか? 支配人ウエルカムでした」
「だけど、俺はミュージシャンだから」
「ミュージシャン、庄内にいませんか?」
「そういうわけなじゃくて」
「どういうですか? 日本語難しいですね」
「あっちこっち行ってギターを弾くのが仕事だからさ」
「庄内でギター弾けないですか?」
「弾けるけどさ」
「私、斉藤さんとなら歌できると思います。お店で働きながらできます。だから、私はここにいる。だから、斉藤さんにここにいて欲しい思う。これ、私わがまま」
 ルルさんは俺の手を握って来た。さっきのおじさんとは段違いの柔らかい手だ。とは言え、酔っているせいかぎゅっと力を込めて来たので、俺は手を振りほどいた。
「考えるよ。ご馳走さま」
 俺はルルさんの家から出て、車で旅館の駐車場に戻ることにした。

 ヘッドライトだけが頼りの街灯もろくにない道路を走る。途中は、畑か田んぼしかない。
 晴れた日にここを走ったら、今の俺のモヤモヤを吹き飛ばしてくれそうだ。
 それでも、俺は俺の生き方しか出来ないと思う。
 俺は旅から旅へさすらうミュージシャンなのだから。
 ヘッドライトが二つの小さな丸い光を反射し、何かの姿を浮かび上がらせた。たぬきだ。思わず俺は急ブレーキを踏んだ。そして、俺の視界は上下左右がぐるぐると回った所で消えた。

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