アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 「お母さん、シャンプーがもうない。」
高校生の美紅がお風呂の中から大きな声で洗面所にいる鞠子に言った。
「ああ、ごめん。切らしたかも。あした買って来るから、この旅行用のを使ってちょうだい。」
「分かったー。」
鞠子はトラペル用の小さなシャンプーの瓶を美紅に手渡す。
「お父さんにコンビニ行って来てもらおうかな。私も髪を洗いたいのに。どうしてうっかりしてただろう。」
「メリットでもなんでもいいじゃん。小さい小瓶を買って来てもらえば?」
「うん。頼んでみるわ。」

夫の純一は缶酎ハイを飲みながら、書斎で趣味のフィギュアを組み立てていた。去年新築した一戸建ての二階に小さな純一用の書斎がある。
「お父さん、ちょっといい?コンビニまでシャンプー買って来てくださらない?切らしちゃった。」
「ああ。ちょっと待ってな。今このピースはめ込んだら行って来てやる。」
「ついでにアイスも買って来て。ここ、お金置くね。」
「シャンプーはどういうのがいいの?」
「メリットでいい。リンスは要らないから。すみません。」

純一は歩いて五分のホームマートに出かけた。鞠子は急いで夕飯を仕上げ、テーブルに並べ始めた。今日はハッシュドビーフとベビーリーフのサラダだ。日曜日なので、もうすぐ大河ドラマが始まる。それまでに夕飯を食べ終えたい。
美紅が髪を乾かしている音がする。純一はコンビニから帰って来た。
「ご飯できたよ。」
鞠子は大きめのハリのある声で言うと、炊飯器から白米をよそっている。リビングのテレビはNHKの『ダーウィンが来た』を放送している。美紅が髪をタオルで巻いて食卓に着く。純一は冷蔵庫からワインを出している。
「君も飲むだろう?」
「私、ちょっと調べ物したいから今夜はやめとく。」

夕飯を食べ終わり、純一と美紅が大河ドラマを見ている間、鞠子は洗い物を片付けて、ノートパソコンを開き、ネットサーフィンをしている。実はヘルパーの資格を取って、単発で自宅訪問をしているのだが、なんとも問題が多くて困り始めた。

どんなお家に伺う時も、できる限りのことはさせていただこう、何にお困りなのか、よく伺って、自分のベストを尽くそうと思っている。ところがあるお宅へ伺うと、まず、若い奥さんに風呂掃除を頼まれた。風呂の掃除って、あんまり介護ヘルパーの仕事じゃないけど、言われた通りにこなし、できた旨報告すると、

「このお風呂は高野槙なの。しっかり乾かしてくれないとカビるのよ。それから床のタイルがまだ汚れてるから、もう一度やり直して。」
と、かなり高圧的に言われた。風呂掃除の合間に奥さんの様子を覗くと、キッチンでつまみ食いしながら鼻歌を歌っている。

その後、シェパードを散歩に連れて行ってくれと言われ、その場はその通りにやって収めた。誰が要介護なのだろう、と不思議だったが、若奥さんが言うには、ご主人が車椅子に乗っているらしいが、ほとんど自分のことは自分でできるから、ヘルパーの出番はないらしい。エレベーターがついていて、かなり裕福なお宅だった。
「なんか、変。介護ヘルパーはお手伝いさんじゃないのに。」
黙って担当を外してもらった。
まだ、ヘルパー歴が少なくて、上に意見する立場ではなかった。介護保険が悪用されている良い例だったが、身をもって体験するにとどめた。

ネットサーフィンで、介護ヘルパーの求人広告を探し始めた。近くの特別養護老人ホームに働く口を見つけて、面接に行ってみようと思った。履歴書を書く。

大河ドラマが終わりに近づき、履歴書を書き終えた鞠子もリビングにアイスをもって行って、一緒にみた。

「まほろばの郷に面接に行ってみようと思う。移動の時間をセーブできるだけでも、施設勤務の方がいいような気がする。管理の人の目も届くから安心だし。」

この間のエレベーターのお宅での出来事は純一にも美紅にも黙っていた。二人が悲しむだろうと思うと言えなかった。私に何か手に職があれば、こんな苦労もしないんだけど。でも、将来、自分もこういう介護職の人たちのお世話になるのかもしれないから、今の内にお世話しておきたいとも思う。

純一は、ヘルパーという職種に色々ありがちなトラブルを想像しながら、
「かえってスーパーのレジの方がいいんじゃないのか?負担は少ないんじゃないか?」
「うん、でもせっかく資格を取ったから、一度はやってみようと思う。まほろばの郷なら、帰りに買い物もできるし、うちとも近いから便利だし。」
アイスを食べ終わった美紅が、
「お母さん、なんか嫌なことあった?今まで、施設に通うのは嫌だって言ってたけど。」
「何もないよ。ちょっとお手伝いさんみたいに扱われて、ムカッとしたの。介護保険からお給料もらってるけど、利用者さんの負担は一時間二百円とかなんだよね。」
「それで、雑用やらされたら、頭に来るよね。問題だよ。」
「ケアマネジャーに言えればいいけど、もういいわ。担当外してもらったから。」
明くる日の月曜日、午前中に鞠子はまほろばの郷に電話して、今でも求人があるかどうか確認し、面接に行きたい旨、伝えた。求人はまだ募集中らしい。水曜日の二時に面接に来るように言われた。

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