【ARUHIアワード10月期優秀作品】『応接間という特別な空間』近藤千明

これまでも転職を繰り返しており、このときも次の仕事を探している時期であった。そのため、家を出る時間が遅い日や家に帰る時間が早く、不規則な生活をしていた。
 学校に行けないことについて説得されるかと思いきや、父自身のことが話に出てくるとは思っていなかった。父には申し訳ないが、父が家にいることが嫌だとか恥ずかしいとかそんな思いはしたことがないが、緊張はしていた。小学校低学年の頃に父は出張が多く、家にいない日が圧倒的に多かった。ごくたまに会社が休みで父が一日中家にいる日は、ちょっと緊張してしまうぐらいで、何をするにも遠慮気味だった。喜ばせたい一心で、父は車に家族を乗せて、遊園地に連れて行き、また次の休みにはぬいぐるみやおもちゃを買ってくれた。出張に行く父を空港まで見送りにいったことも何度かある。友達の家に遊びに行き、「お父さんの仕事は?」と聞かれても「最近は、中国に出張している。」としか答えられず、どんな仕事をしているか全く知らなかった。大人になってから笑い話として母から聞かされたが、ごくたまに休みの日で父と話す機会があっても、父は私の話していることがあまり理解できていなかった。学校で誰と仲良くなったとか、こんなことで遊んでいるとか言ったところで、ピンとこなかったようだ。


 父と話すこと自体緊張してしまうのに、あまり足を踏み入れたことのない応接間で二人きりで話していることにますます緊張が高まった。母がいれば、代わりに話をして、慰めてくれるが、ほかの部屋にいて助けを求めることはできない。父の顔から眼をそらし、机が歪んで見えるようになったと思うと、涙がぽろぽろと出始めた。父は娘が泣き出したため、おろおろしながら、
 「怒っているわけじゃない。お父さんも次の仕事を早く見つけるから。家のことは心配しないでいいから。」
言葉が思いつかず、頷くことしかできなかった。
 「この部屋で話すということは、大人として扱っているということだ。大切なことを話すときは、こうやって応接間で話をしてきた。また次の機会はいつだろうな。」
父ははじめに比べて少し明るい表情で、障子をあけながら、娘との短いやりとりを終わりにした。父もほっとしたように見えた。


 これまでも応接間で話をするのはお客さんが来られた時と一家に関わる重要なときだけで、子どもの私は入れてもらうことはなかった。いつもは明かりが消され使われることが少ないため、家のなかで重要な役割をしている部屋ではなかった。他の部屋とは違い、スイッチを押すとピカッと光るのではなく、ぼわぁーっと明るくなる古い電球だった。物は少なく、ちょっとした陶器の置物が棚に置かれているぐらいだった。しかし、月に一度ぐらいのペースで父の友人や職場で仲良くなった人や親戚が訪ねてくると、応接間が一変して、特別な空間に生まれ変わる。子どもが入れない大人だけの世界だったが、お客さんにご挨拶を兼ねて、母が用意したお茶をこぼさないようお盆で運ぶときだけは、その中に入ることができた。お盆を慎重に運ばなければならないことと応接間に入るという二つでドキドキとしながら畳に足を踏み入れる。注意されないように畳のへりは踏まないよう、机の上にそーっとお盆を置いて、親に紹介されてから、ぺこりとお辞儀をするとすぐに応接間を出ていった。出ていくと、ふーっと言いたくなるほど、安心感がどっと押し寄せて緊張が解けた。一瞬にもかかわらず、一仕事終えたそんな気分だった。障子越しに両親や親戚の人が声のトーンを抑えて話をしている声は聞こえても、内容はさっぱり理解できず、隣の部屋でテレビを見て過ごしていた。そのため、小さなころから応接間は特別な場所なのだと思っていた。ほかの人の家にお邪魔するわけでもないのに、自分の住んでいる家の一部である一部屋がなぜこんなにも緊張してしまうのかと不思議だった。

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