アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「だからね、だまされてるんじゃないかって」
「はぁ?」

 声をひそめた母に対して、すみれは思わず大きな声をあげて反論した。
「おばあちゃんに限って、だまされるとかあり得なくない? ちゃんと話聞いたの?」
「お母さんも、そう思いたいけど。でも若い男と一緒に暮らすだなんて……。どう考えてもおかしいじゃない」
 すみれの母、サツキは手に持ったマグカップを両手でぎゅっと握りしめ、なみなみと入ったコーヒーに視線を落とした。すみれは母の言葉に、ほんの少し悔しさがにじんでいたのを感じて「でもさあ……」といった後の言葉を続けられなかった。
ーーおばあちゃんだって、一緒に暮らしたい人を選んでもいいじゃない?
 サツキはふと顔を上げ、すみれに向かってこう言った。
「おばあちゃんが騙されてないか様子見てきてよ。土日の予定無くなったでしょ?」
カレンダーに記された大きなバツ印に母はほんの少し目をやった。お願い口調ではあるけれど、そこにすみれが拒否権を発動できる隙間は残されていなかった。

 菊枝おばあちゃんの様子を見にいくのは、何も難しい話じゃない。祖母の家は電車も数駅しか離れていない。バスを乗り継いで行くこともできる。母と祖母は仲良くしているようにも見える。けれど、どこかギクシャクしているようにもすみれには感じられた。母はどこか意地っ張りなところもあるし、自分で様子を見に行けないのだろう。
「もしかしてあれが原因かな」
母と祖母の仲がいまいち噛み合わないでいることに、すみれはひとつ心当たりがあった。それは、菊枝おばあちゃんが一緒に住むのを拒んだことだった。

「ひとりで住んでるほうが、静かだし、気が楽でいいわ」
 菊枝おばあちゃんがそう言っているのを、すみれも何度も聞いていた。サツキは「ひとり暮らしだと、何があるかわからないし」と、祖父が亡くなってから何度も掛け合っていた。けれど、結局菊枝は折れなかった。すみれの記憶にはほとんど残っていない祖父が亡くなってからもうすぐ20年近くになるが、菊枝はずっとひとりで暮らしていた。だからこそ、菊枝おばあちゃんが「若い男と一緒に住む」という話を聞いたとき、すみれもちょっと納得できなかった。

「じゃあ、次の連休でおばあちゃんの様子見に行ってくるよ」すみれがそういうと、母は「頼んだわよ」と小さくうなずき、すっかり冷めたコーヒーを口に運んだ。

 気持ちよく晴れた土曜日だけれど、すみれの心はどんよりと曇っていた。おばあちゃんが元気にしているかどうかを見に行くだけじゃない。おばあちゃんが騙されていないかどうかを探ってくるようにと指令を受けているせいだ。
 ただ、すみれ自身どちらかといえば騙されやすい性格だ。付き合い始めた彼氏と旅行の計画を立てていたのに、知らないうちに二股をかけられていた。問い詰めたところ、一方的に別れを告げられたばかりだ。旅行に行くからとカレンダーの日付に丸印をつていたのに、大きくバツで上書きした。しっかり者の菊枝おばあちゃんが騙されるくらいなら、すみれなんてあっという間に口車に乗せられるだろう。できれば今日はおばあちゃんだけが家にいますように、とすみれはほんの少し祈るような気持ちでバスに揺られていた。

 バスを降りると、風に乗ってどこかで少年野球をしている声が届いた。菊枝おばあちゃんが住むこの町は、のんびりとした優しい空気が残っている。一つ手前でバスを降りれば、賑やかな商店街もあり、最近では子育て世代にも人気のある町だと話題になっている。バス通りを抜けて裏通りを歩くと、静かな住宅街が並んでいる。不意に、すみれの鼻先を金木犀の香りがくすぐった。

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