【ARUHIアワード10月期優秀作品】『LoveDays』松田ゆず季

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最後に母と本気でいがみ合ったのはいつだっただろう。考えてみたが、思い当たるのは私も前の男の子ほどの年齢のときのことばかりだ。少なくとも10歳からは本気でぶつかった記憶が無い。中学受験をしたのも私の意志ではないし、志望校も何も考えずに母の言う学校の入学者名簿に名を連ねた。合格体験記によく見られる「最初は、娘の希望する学校がいいとは思えませんでした。私も夫も理系に強い学校を勧めましたが、すでに彼女は自分の芯を持っていたようです。娘の成長に心を打たれながらも何度も話し合い、思い通りにさせようと夫と約束しました。憧れの制服に嬉しそうに腕を通す娘を見る今、あのとき娘を信じてよかったなと思っています!」というお涙頂戴話もなかった。欲しいとも思わないが。
親子円満というという言葉では片づけられない何かが私の心にもやを立ち込めた。本音で語り合うことを避けた先にいったい何が待っているというのか。偽りの未来が私のすぐ先を塞いでいるような気がして不安になった。母に素直な感情を伝える機会をつくらねば。しかし私は口で何かを伝えることが苦手だ。心のひだをうまく捕まえられるほどいい網は持ち合わせていないし、そもそも語彙力もない。ふと母の言葉を思い出した。
「たくさんの贈り物より長い一通の手紙だ」
母に手紙を渡そう。私が何を思っているのか、文字ならうまく伝えられそうだ。そもそも私は会話ではなく、文章の方が得意なのだ。でなければこの備忘録は書いていない。手紙を渡すのはいつがいいだろう。そのような機会は誕生日がいいのではないか。私の誕生日だと急すぎるため、手紙の準備ができない。では母の誕生日に「本音の手紙を渡す会」を開こうではないか。母の誕生日はいつだったか。
母のたん・・・・・・
母の・・・・・・・
たんじょうび・・・・・・?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

ここで私はようやく気づいた。自分の過ちに。

母の誕生日を忘れていた。 
母の誕生日は9月10日だった。
9月上旬は期末試験があるとはいえ、それは良い訳に過ぎず、親の誕生日を忘れていた自分に恐怖さえ覚えた。悔やんでも9月10日は帰ってこない。むしろ帰ってきたら国中が混乱するだろう。一国民として、国家の治安を最優先に、9月10日の往復を望むのはやめた。今からでも「長い一通の手紙」を渡そうと思い、ペンを握る私に脳が待ったをかけた。
この備忘録を渡すのはどうだろう。
たしかにこれは母との思い出を描いた。だがこれを渡すとなると、「誰かさんの誕生日忘れた事件」を自白することになる。どの面下げて渡せばよいのか。自分で想像して面白くなった。
もう、誤魔化すのはやめにしよう。忘れていたことも堂々と伝えよう。申し訳ない気持ちもきちんと書いたのだから、許してくれるだろう。母にとって悲しいことは、娘に己の出生を忘れられることより、娘が素直に本音を語らないことではないか。14歳最後の記念にと軽い気持ちで書き始めたこの備忘録を長い一通りの手紙として母に贈りたい。
やはり前触れもなくいきなり渡すのは照れくさい。誕生日を忘れておいてどの口が言うかと思うが、何かのコンクールにでも出品したらどうだろう。そして、「これ、私が書いたやつ、受賞したらしいんだけど・・・・」などと言って渡せばいいきっかけではないか。そう思いすぐに検索をし、このコンクールにたどり着いた。テーマは「大切な『ある日』」を迷うことなく選んだ。私はこのコンクールを知ってから書いたのではない。備忘録を書いてからコンクールを見つけたのだ。となればこれは私のためにあると言っても過言ではない。というかそうだろう。もし受賞しなければ私は家庭事情を見ず知らずの審査員に晒すだけだが、心を温めてもらえるだけでも幸いだ。
これが私の愛の備忘録、すなわち母への長い一通の手紙である。

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