【ARUHIアワード10月期優秀作品】『LoveDays』松田ゆず季

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母は愛にあふれた人だった。学生が自殺をしたニュースを見ては「辛いなら無理して学校に行くことなんてなかったのに。辛いなら休んでいいのに。どうして周りの大人が気づいてあげられなかったんだろうね」と言い、熊や鹿などの動物が住宅街に出没したというニュースでは捕獲シーンで目を背け、慌ててチャンネルを変えた。恵まれない子供たちのために毎月募金をしていた。そんな母との、備忘録に記さなくとも忘れることのできない思い出がある。
私の学校では中学三年生から海外研修に行けるチャンスがあり、今年の行き先はオーストラリアだった。母はオーストラリアをこよなく愛していた。海外に行くことを夢見て働き、十分な金額がたまった暁にオーストラリアへ旅立った。異文化に驚いたが、実のあるものだったといつも自慢げに語った。母が訪れた地を私もこの足で歩きたいと思い、応募した。母のように自腹というわけではないが、自分の力で外の世界を見ようと行動したことに自分自身で驚いた。定員は20名だったが、応募前の希望者説明会では60人が出席していた。結局本応募をしたのは30人だったため、いくらか不安が消えた。英語の成績の順に選ばれるため、私は余裕に感じていた。私はそのとき最も上のクラスで英語の授業を受けていたからだ。もちろん油断は出来ないため、志望動機書を今までで一番綺麗な字で書き、枠からはみだしてまでオーストラリアへの情熱を炭素に託した。誕生日プレゼントの長文の手紙を書いた5年分の文章力がそこに結集した。これで当選は間違いないだろうと思った私は天国から地獄に落とされた。当選者発表の少し前、くじ引きで決定するという知らせがあった。すべてが無駄になった瞬間だった。その日は金曜日で、くじ引きは月曜日だったため、怒りと哀しみに耐えて2日を過ごす羽目となった。絶頂転じて絶望のどん底に落ちるということを味わったことが無かった私にとって、あまりにも過酷な壁だった。睡眠不足が続き、日曜日には風邪をひいていた。当たらなかったらどうしよう、いや、くじ運は持っている方じゃないか、でも最近はツイてないし、3分の2の確率だし・・・
そんなことをぐるぐると迷宮の果てまで考え、床についた。
ついに月曜日がやってきた。風邪は治らず、はっきりしない意識のまま学校へ向かった。くじ引きは昼休みに行われるため、午前中の授業は全く耳に入っていなかった。何の授業だったかも覚えていない。4時間をなんとかやりすごし、くじ引きを開催する教室へと向かった。くじ引きはこういうものだった。
箱の中に1から30までの参加人数分の札が入っていて、1人ずつそれを引いていく。ただし、自分が引いた札の番号を見てはならず、トランプマジックのように、札を自分には見えないように先生に見せ、先生は名簿の生徒の名の横にそれを記す。そして全員が引き終わり、着席したことが確認されたら一斉に手の中の札を見て自分の番号を確認する。札をもう一度箱の中に戻し、先生が20枚札を引き、該当者が当選する、という仕組みだった。
私が見たとき、札の番号は10番だった。これが4番(死)や9番(苦)だったら意気消沈しただろうが、何とも言えない番号で、ましてや緊迫した状況の中でポジティブな語呂合わせも思いつかなかった。箱の中に札を戻すとき、先生の手の近くになるよう、一番上に札をそっと置いたが、先生は取る前に箱をよく振ったため、微力な工作は水の泡と付した。「じゃあ20枚引きます」乾いた教室に先生の声がいつもより響いた。先生は20枚の札を教卓の上に番号順に黙々と並べていった。札は表にしておかれていたため、前の方の席の子は少し腰を浮かせてのぞき見をしては「あった」と小声で騒いだり、何かを察して無言で着席したりしていた。私は最も前の列の端に座っていたため、見ようと思えば当選番号を見ることができた。しかし、ここで見てしまっては何かに負けてしまうような気持ちがして、腰が上がらなかった。今思えば見ておけばよかったとも思う。現実を知っておけばよかった。
結論から言うと、私は落選した。「8番、9番、11番・・・」という先生の、事務作業の一環かと思う感情の無い声は今でも耳に残っている。
あ、9(苦)番なのに選ばれたんだ・・・何故か心の中でそんなことをのんきに呟いている私がいた。
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