【ARUHIアワード9月期優秀作品】『影部屋』麦原 拓馬

「お前、俺の部屋を自分ん部屋やって嘘言うと?」
「ゴミだらけのだらしなか部屋見せて、年上彼氏の威厳を失うよりマシばい」
「威厳なんてもともとなかやろ。俺明日、資格の模擬試験やけん、勉強させてくれや」
 啓太は顔の前で両手を合わせ、お願いする。
「頼む、一時間でええから。これで 駅前のカフェかどこかで勉強 してきてくれ」
合わせた手から千円がでてきた。握手しながらその金を手渡す。
「ただでとは言わん、これは前払いのお礼や」
 手に滑り込んできた千円よりも、困り顔で必死でお願いする啓太の顔を見て表情が緩む。
「ったく、しゃーないな。終わったら連絡せえよ 」
「恩に着る。綾子が帰ったら連絡するけん、それまで頼むわ 」
 康介は部屋の鍵を渡すと、リュックに教材を詰め込んででかけていった。
 中を見渡すと、自分の部屋とは大違いだと改めて思った。男の一人暮らしにしては部屋がきれいすぎる。真っ白な壁紙が、部屋の清潔感をより強調していた。啓太の部屋も同じ壁紙のはずなのに、なんでやろか。
 教科書が整頓されているのを綾子が見れば、意外と真面目な男なんだなと勘違いしてくれればと思った。同時に康介が、今まで女の子を部屋に呼んだことがないと先週飲み会で愚痴っていたのを思い出し、もったいないなぁとため息を付いた。

 綾子はひとしきり本棚を探索すると満足したのか、啓太の隣の座布団に座り、ミルクティーに口をつけた。
 テレビでは商店街巡りが佳境に入ったらしく、アナウンサーが薄暗いジャズの流れるバーで 赤い色のフルーツの乗ったカクテルを飲んでいる。よく見ると左上には『〇〇駅前 ぶらっと魅力再発見』と書かれている。この近くの商店街だったようだ。啓太が言う。
 「駅の近くにこんなお洒落なバーあるったいね」
 綾子が「ね」と相づちを打つ。
 「今度一緒に行こう 」
 「うち、 まだ 十九やけん」
 「なら、二十歳の誕生日会ここですればよか」
 「でも高そうやん。宅飲みにしよ。うち、こうしてケイくんの部屋でのんびりできればよか」
 後ろで床に手をつき、のんびりそう言って啓太に笑いかける。八重歯がちらりと光った。彼女のこういう無邪気なところが好きだ。

 綾子がミルクティーを飲み干す。注いであげようと紙パックを持ち上げるが、中身は殆ど残っていなかった。
「ストック、あったかな」
 本当にわからないので、台所の冷蔵庫を開けて確認する。ついでにお菓子はあるだろうか。康介が戻ったら、謝って補充してやらんとな。そんな事を考えながら冷蔵庫を漁っていると、 綾子に後ろから声をかけられた。
「ケイくん、これなに?」
 綾子がさっきまでの明るい声と違い、低い声で聞いてきた。彼女は背を向けているので、なんのことを聞いているのかわからない。
「何が」啓太が聞くと綾子が勢いよく立ち上がって振り返り、台所までズンズン歩いてきて、右手を顔の前に突き出した。目のピントを合わせて見ると、髪の毛が一本、親指と人差指で、真ん中あたりでつままれていた。長さは綾子のより、もちろん啓太や康介のより明らかに長い。
「これ、誰ん髪の毛?」
 数秒経ってから、啓太は状況が理解できた。綾子が怒っていること。自分の浮気が疑われていること。康介、女おったんか!
「え、わ、わからん。知らん」
「知らんわけなか。女やろ?信じられん!さっきメッセージで動揺しとったんはこれか!」
啓太はこの盛大に誤解された状況をどう切り抜けるかに頭を回した。もちろん浮気なんてしていない。が、ここが本当は友だちの部屋だと、正直に言うわけにもいかない、とも思った。
 「白状しいな、さっきまで女おったんやろ!」
 身長は綾子のほうが10cm以上小さいのに、だんだん自分が小さくなっていくように感じた。何も答えられない、が、黙ったままだと浮気を肯定するのと同じになってしまうのではないか。啓太は水面の金魚みたいに苦しそうに口をパクパクさせているが、言葉が出ない。

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