【ARUHIアワード9月期優秀作品】『影部屋』麦原 拓馬

 部屋にはゴミひとつ落ちていない。布団は押入れにしまわれており、部屋の中央には背の低いテーブルと座布団が二枚、並べられている。本棚には大学の授業で使う教科書や小説、資格の教材などがジャンル順、背の順に整頓されている。棚にホコリはほとんど溜まっていない。
「思ったより、キレーにしとーね」
「まだ借りて三週間やけん」
 彼女を座布団に座るように促した。啓太は冷蔵庫を開けて中身を確認して言う。
「なんか飲むと?」
「ありがと。なんでも」
 啓太は紙のパックに入ったミルクティーを選び、台所に置く。グラスが見当たらない。一瞬焦ったが、落ち着いて頭上の戸棚を開けると、食器が整理して置かれており、グラスもすぐに見つかった。
「ケイくん、簿記勉強しとったんだ、知らんかった」
 そう言われて振り向くと、彼女は立ち上がって本棚を眺めていた。
「マスコミ業界に就職したかって言うとらんかった?」
「まぁ、いろいろ勉強しとこうて思うて。先輩らみーんな就活苦戦しとーけん、一応な」
「ふーん 、読んでもええ?」
「ええけど、何も面白くなかとよ」
 綾子は教科書の一冊を手に取り、眺めるように読む。
「なんか問題出してもええ?」
「まだ買ったばっかりで頭入っとらんよ」
「え、でもこの参考書、ばり書き込みしとるけど」
「それは……中古やけん。もともと書いとった」
 啓太がテーブルにグラスを置いて、ミルクティーを注ぐ。話を逸らすためにテレビを付けた。駅前の商店街を女性レポーターが取材している。肉屋の出すコロッケを食べるようだ。
 綾子はなかなかテーブルに来ず、本棚の本をパラパラ眺める。流石に教科書や小説一冊一冊に名前を書くほど、この部屋の住人はマメではなかったようなので安心した。

 十分前、啓太は自分の真下の部屋に住む康介に電話していた。
「啓太、どげんした?」
「康介、いまどこ?」
 切羽詰まった、うわずった声が受話器の向こうから聞こえる。
「部屋におるけど……」
 康介がそう答えると電話は切れ、数秒後に康介の部屋のドアが3,4回叩かれた。ドアを開けると、啓太がへへへ、と笑いながら立っている。
 康介とは一年生のときに語学の授業で隣の席になったのがきっかけで知り合った。啓太が教授の話を聞いておらず康介に何度も確認するので、最初はいい加減なやつだと思っていたらしい。だが、授業でなにか教えるたびに「あのときのお礼だ」と言って学食をおごるところは律儀でいいやつだと感心している。そのうち授業のない日でも一緒に行動することが多くなり、今ではすっかり親友だ。啓太と付き合うのは資格勉強の息抜きには実に丁度いい、と思っている。
「またレポート見に来たんか。あれ、でも今締め切り近い課題あったか」
「いや、今日は課題じゃなくって、頼みがあるったい」
 康介が眉間をギュッと絞って怪訝な顔をする。
「頼み?また金か? 」
「アホ、お前から借りたことなか。今日、綾子が急に来ることになったばってん、部屋が汚のうて呼べんのや」
「お前、越してきてまだ三週間やろ?もう部屋ば汚したんか」
「汚したんやなか、汚れたんや」
「言い訳すんな。それで、どげんした。片付け手伝え言うんか?」
「いや、もう間に合わん。あと十分で来るったい」
「ふーん、じゃあなんね」
「康介ん部屋、貸してくれんか 」
 康介は啓太の提案の意味を理解して目を見開いた直後、口元にシワを寄せてあからさまに嫌な顔をした。

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