アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 ある日、兄から連絡があった。
 お袋の認知症が進み、いよいよ介護が必要な状態だという。
 青天の霹靂である。
 まさか、俺にお袋の介護の依頼とは。
 家庭を持たずフラフラした生活を送る俺には失うものなど何も無く、どこにでも身を置けることを考えると断る理由は見つからない。むしろ失業中の俺には棚ぼたのような話だ。

「そこまで言うなら仕方ないな、俺にもこちらでの生活があるけど、何とかしてみる」

 兄には恩を売るように、そして苦渋の決断をするかのように返事をした。

「悪いな。生活費は俺が工面するから」

 これで当面の生活は安泰となったが、立ちはだかる大きな壁が存在する。
 それは、お袋とは二十年に渡って絶縁状態ということ。とてつもなく大きな壁だ。学生時代から関係性は良くなかった。お袋にいつも優秀な兄と比較されるのが嫌で仕方なかった。

 二十年前、親父の葬儀の日-

「あんたもいい加減まともな仕事に就きなさい。いい歳していつまでも遊んでないで」

 吐き捨てるように言い放たれた言葉だった。この一言で俺はお袋との縁を切ることを決心した。

 高校卒業後、ミュージシャンを目指して上京した。アルバイトをしながら夢を追い続けたが、いつまでも叶わぬ夢を諦められないまま気付いた時には五十を過ぎていた。活動はたまに行う投げ銭のライブやスナックでの営業が年に数回程度。日頃は派遣社員として働きながら、なんとか食い繫いできた。
 俺にはお袋の言葉が正しいことは分かっていた。しかし、三十を過ぎて自分の選んだ道について自問自答している時の一言に俺は過剰に反応してしまったのだ。

「人の人生にとやかく言うな! もう二度と帰らないからな!」

 この僅かなやり取りが二十年に及ぶ空白の時を作った。
 兄は大学を卒業後、一部上場企業に就職し東海地方のエリアマネージャーにまで昇進した。こんなにも対照的な兄弟だが関係は悪くない。兄は今でも俺のことを気にかけ、定期的に連絡をくれる。
 故郷までは新幹線と私鉄を乗り継ぎ約五時間。最寄りの玉里駅に降り立った。久しぶりに見るレトロな駅舎は、子どもの頃から変わらぬ佇まいで懐かしい。
「靖!」
 駅のロータリーに停まる黒い高級車の隣で手を挙げる兄の姿。兄とは4年前に東京で会って以来の再会だった。俺は右手を挙げて応えると、地面に置いた薄汚れた黒いバッグを拾い上げた。

「悪いな、今回のことは」
「ああ、大丈夫さ」
「母さんとは二十年ぶりか。ずいぶんと認知症が進んでしまった」
「いっそのこと、お袋の中から俺の記憶が消えてたらいいけどな」
「相変わらずだな」と兄が笑う。
 お袋は中等度の認知症で人や物の名前が出なかったり、少し前のことが思い出せなかったりするそうだ。その程度ならまだ大丈夫だったが、先日、コンロにかけた鍋を焦がして危うく火事になりかけたのをきっかけに、俺への依頼へと至ったというわけだ。施設入所も検討したが、お袋が頑なに拒んだそうだ。
 窓の外には二十年振りに見る懐かしい故郷の景色が流れる。俺は広大な田園が初秋の夕陽に染まるのを眺めていた。

 家に着くとお袋が庭の片隅で椅子に座っているのが見えた。何をしているわけでもない。ただ、じっと前を見つめるその顔半分を西日が赤く染めている。
 ……お袋は車から降りた俺の顔を不思議そうに眺めた。
「母さん、分かるか。靖だぞ。東京から帰って来たんだ」
「はぁ、靖さん……」
 お袋はゆっくりと立ち上がり一歩ずつ歩み寄ると、まじまじと俺の顔を見つめた。
 二十年振りに見るお袋の姿。頭は白くなり、顔には多くの深いしわが刻まれている。体は随分と細く小さくなった。若い頃の刺々しい感じは無くなり、恐らく世間一般では可愛らしい婆さんの部類に入るのだろう。

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