【ARUHIアワード9月期優秀作品】『ジグソーパズルの欠片のように』もりまりこ

 今その写真をふたたび見ている。
 いないのにいる。だれもそこにはいないのに。その椅子に座りながら交わされたたくさんの会話や凪のような時間を想っては、ゆめのように途方に暮れていた。
 
 あした引っ越しのお兄さんたちがやってくる。
 がらんどうな部屋ってどうしたらいいかわからなくなるって思ってたら、不意に家のチャイムが鳴った。一度だけじゃなくて二度鳴った。
 誰? なにごと? って思ってインターフォンを取ったら、すごい見知った声が聞こえた。
「こんちわ。柴田達です」
<柴田達>。つまり海さんの飲み仲間だった人達だった。
 海さんがいつも遅くなって帰ってくる時、今日柴田達につかまっちゃってっていうから、いつのまにか柴田さんと安藤さんと田中さんと花田さんは、柴田達っていう、ユニットになっていた。
 ドアを開けるとみんながちょっと酔ってるのかなって顔で笑って立っていた。
「波ちゃん。久しぶりだね。引っ越し手伝おうかなって思ってたら」って柴田さんが、そう言いつつ部屋を見渡して、こんなにすっきりしちゃったんだ。へぇ~って、感心してくれた。柴田さんは建築工事を請け負いながら時折、趣味で釣りを本格的にしている人だからか、とってもしゃがれた大きな声をしている。安藤さんは近所の市場の魚売り場の主任さんで、田中さんと花田さんは、とぴあデパートで営業をしている。テイクアウトの釜飯の差し入れをみんなで食べた、フローリングにレジャーシートを敷いて。男の人達はみんな食べるのが速いので、置いてきぼりになってたら、みんなが口々に俺たちのことはいないものだと思ってって、安藤さんが気を遣ってくれた。
「いないものって、もっと言い方あるだろう」って田中さんと花田さんがなぜか同じ職場のせいか、はもってつっこんだ。そういやさ、「波ちゃんにデザート」って言いながら柴田さんが差し出したのは、林檎だった。
「これってもしかして王林?」
「もしかしなくても、そう」柴田さんは潮焼けした顔をくしゃくしゃにして言う。柴田さんの掌には、青緑色の林檎が乗せられていた。ちゃんとナイフと紙のお皿を持参してくれていた。わたしが切ろうとすると、俺がやるやるって安藤さんが引き受けてくれた。
「安ちゃん、魚おろすとのとはわけが違うんだからな」ってちゃちゃを入れられながら。
さくっと感とひかえめなテイストこの香りが好きって思ってたら。柴田さんがそういうやさ、って何かを思い出したみたいに天井を見上げながら話し始めた。
「いつだったかさ、海さんと砂浜で王林食べたことがあったのよ。酔い覚ましにね。そしたら海さん、かしゃって噛んでから言うのよ」
「なんて?」田中さんが問いかける。
「あ、別に面白いオチとかはないからね。先、言っとく」
「知ってるよ。なんてなんて?」
「これってさ、名前は偉そうじゃん。でも噛むとサクって感じで肩透かしくらうだろう。そういう全然林のキングじゃないところ、そのギャップがいいなって今、思ったのって。嬉しそうになんか大発見でもしたみたいに言うんだよ」
 わたしは柴田さんの嗄れた声を聴きながら記憶を辿る。なんどか王林を海さんが買ってきたことがあった。なぜか林檎の皮をひたすら長く切るっていう懐かしい特技を持っているみたいで、それを成功させた暁には、わたしにもお皿に林檎を切って乗っけてくれた。夜のスポーツ番組みながらサクサクって音たてて、幸せそうにあの椅子に座って林檎をかじっていたのを思い出して、ちょっとこみあげそうになる。

 花田さんが、「この部屋がさ、今日最後っていうからね、波ちゃんひとりだとさびしいだろうってんで、でもさ波ちゃんは波ちゃんの事情があるだろうし、迷惑承知でやってきたの。で、この部屋で夜を一緒に過ごしてあげる会っていうのはどうって俺たちデパート組が提案したら、みんなのっかってくれて。波ちゃん、ひとりで噛みしめたい派?」
 海さんの大切な友達<柴田達>ってなんてやさしいんだろう。そういうの待ってたって思いながら「とんでもない。ずっといてください」って笑ったら、ほらぁとかって花田さんが田中さんの肘をつついた。
 花田さんがおもむろに鞄から四角いものをとりだすからなんだろうって思っていたら、「これで夜を過ごそうと思って」ってフローリングの上にそれを置いた。
 そこにあったのは、途方もなく山積みになったジグソーパズルのかけらたち。どこから、とりかかったっていい。だけど、いったいどこから? ってしゃがんでしまいたくなりそうな、そんな思いがけない時間がわたしはうれしかった。
 ジグソーパズルって、「はしっこから攻めるよね」って、安藤さんが言って。
「ちがうちがう、断然まんなかからだよって」田中さんがちょっと通ぽく答える。
「んなのどっちでもいいよ。すきなところからって海さんなら言うよ」って柴田さん。
「これほんとにできんのか? 全部ピースおなじじゃねえか」ってぼやいて「ちゃんと見てよ。それにしても柴田さん日本一ジグソーパズルの似合わない男じゃねぇ」って言ってみんなが笑った。空っぽに近いフローリングの部屋は思いのほか声が響いて、さみしかった空間がすこしずつ埋められてゆく。その声をわたしは耳の中にずっと閉じ込めていたいそんな気分だった。
 そのジグソーパズルは、風景画みたいだった。なるべく難しくて時間を費やせるものを、彼らは選んでくれていた。確かにさっきからわたしも降参気味だけど、すこしピースが、かちっとはまって、風景の一部、たとえば雲のふくらみと空のどこかとか、なにか、みえてきたかもしれないって思う瞬間に誘われると、ちょっとやるきが出てくる。まるで明日のことなんて忘れてしまいそうだった。
 今こうして<柴田達>といるのは、まだ仕事から帰らない海さんを待っているみたいな気持ちになって。
 「1ピースはまると、1ピース風景が変わる」っていう、珈琲の広告のコピーを海さんとふたりでみたことがあって、ふいにそんなことを思い出す。夜は更けてゆきながら、「作ったひとの顔がみたい」だとか、「ほんとうに完成なんてするのか?」とか「あたましびれてきた」とか云いながら、みんなでパズルに精をだしながら、ふとみると、田中さんがたったひとり黙々とパズルの欠片を根気よくあてはめながら、じぶんの側のパーツを完成させていた。
「こういうの、好きそうだよな」
「だれのこと?」
「海さんだよ。こういうの黙々と着々と勤しむタイプだよぜったい」
<柴田達>の会話にわたしも、同意したくなる。
 海さん、ほんとうに気長な人だった。仕事が測量士っていうこともあったせいからか、親にも教師にも上司にも見放されそうで溺れそうになっていたところを、掬ってくれた唯一の人だったのかもしれない。
 ジグソーの欠片がまだたっぷりある。そこにたったひとつの正解のかけらたちが、隠されているのに、それがなになのかまだわからない時。
 ちいさな欠片を指にとって、へこんだ場所にあてはめてゆく地道な作業は、とりあえず、「いっぽでも足を前に出して」っていうことなのかもしれない。

 今してることって、そういうことなんだとわたしは想う。いやになるほど永遠を感じる物事だって誰かは何かに、もくもくしずしずと取り組んでいる人がいるものなのだと。海さんの仕事もそうだったのかもしれない。
 みんなでなにかひとつのことをつくりあげる。そんなよろこびにみちていたかもしれないことをふいに甦りながら。
 わたしは、ジグソーパズルのひとかけらをあきらめない眼の前にいる<柴田達>に、励まされていた。

 がらんどうの部屋を見渡してこみあげてくるものはあるけれど。
 またここで、誰かが暮らすことを思って、誰かにちいさな幸せが訪れるといいねって思っていた。
 ひとつの風景をこしらえているのが、みんなとじぶんであることが、なんか奇跡のようだと思っていた。そんな刹那かけらを指にした花田さんが「ひとつひとつはすっごく似てるのに、ちょっとずつちがうんだぜ、もぅ」って声が聞こえてきて、それは、そこにいるみんなのことのようだとわたしは思った。
 そして今日、ふたり暮らした最後のこの部屋に、サプライズな贈り物をしてくれたのは、海さんのような気がしてならなかった。

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