農家になりたい! 海外生活で一変した「自分らしい暮らし」とは?

兵庫県丹波市に暮らす山本香奈子さんは、ご主人と男の子4人の6人家族。2012年に大阪から移住し、トマト農家になりました。現在は自宅横で小さなベーカリーも営む山本さん。移住のきっかけや暮らしの変化、仕事としての農業、子育ての環境などについて話を伺いました。

アメリカ駐在で価値観が一変! 「自分で決めて進む」人生へ

「私は大阪市出身、主人は神戸市出身で、以前は大阪府豊中市内のマンションで暮らしていました。子どもは高校一年生、中学一年生、小学三年生、5歳の4人で、全員男の子です(笑)。移住を決めたのは、主人の転勤でアメリカに駐在したことがきっかけでした」

「転勤の辞令が出たのは、長男が2歳、次男がお腹にいたときのこと。出産間近だったので何とかならないか会社に相談しましたが、意見は通らず、家族でアメリカへ。そこで4年間暮らしてみて、現地の人たちの『仕事より家族を大切にする』考え方や、『何事も挑戦して、何度でもやり直したらいい』という人生観に触れて、それまでの価値観が一変しました。そもそもアメリカでは、自分と他人を比較しないし、個の考え方や意見を尊重する文化が根付いているんですよね」

「そこから、主人も私も『会社のコマ』として働き続けることに疑問を持つようになりました。大手企業だったので安定はしていますが、この先ずっと会社の都合に合わせて転勤を繰り返しながら生きるより、『仕事も暮らしも自分たちで決めたい』と強く思ったんです。もともと主人は農業に関心があったので、これを機に『やってみようか』という話になり、移住を決めました。よくある『田舎暮らしをしたいから移住する』のではなく、『農業をしたい』と思ったから、土地を求めて移住したんです」

農地を求めて丹波の里山へ 手厚い支援で農家に転身

「移住先を丹波市に決めたのは、家族でぶどう狩りに行った時に見た自然の美しさが忘れられなかったから。それに、両親に何かあった時、車で駆けつけられる距離に暮らそうと決めていました。就農と移住の相談をした丹波市の担当者の方がとても熱心な方で、とにかく親身になってサポートしてくれたことも大きいですね。本当にたくさんの人を紹介してくれて、その縁で、今の家と農地を借りることができました」

「就農に関しては、国からの助成金をはじめ、本当に手厚い支援がありました。農業はやったことがないし、教えてくれる人もいなかったので、それを利用して農業大学に入り、基礎から知識と技術を学びました。主人はぶどうを作りたかったみたいですが、収穫できるまで2~3年かかるため、諦めました(笑)。今は3棟のビニールハウスで、大玉のトマトとミニトマトの二期作をしています」

夏は大玉のトマト、冬はミニトマトを栽培

自分のペースを大切にしながら小さなベーカリーを開店

「今から3年前、自宅横の倉庫を改装して『ひとたねパン工房』というパン屋を始めました。昔からパンが好きで自分で焼いていましたが、丹波には農業をするために移住したので、パン屋をするなんて夢にも思っていなくて(笑)。最初は、農業以外で安定した収入源がほしいと思い、加工品の製造・販売に向けて工房を作ったのですが、ふと『ここでパンが焼けるかも?』と思い付いて、本格的に準備を始めました。パンづくりは独学だったので不安もありましたが、皆さんが『おいしい』と言ってくれるのが励みになっています」

りんご、にんじん、長芋、ご飯でおこした天然酵母を使い、パンを焼いている

「ひとりでやっているので、営業は週3日のみ。周囲からは『4人の子育てをしながら農業をして、パンを焼くのは大変じゃない?』と聞かれますが、子どもの年齢差もあるので、子育てが落ち着くのを待っていたら、やりたいことをする時間がない!と思ったんですよ。だから『子どもがいるからできない』のではなく、『子どもがいるから、自分のできる範囲でやろう』と決めました。下の子のお迎えの時間に間に合うように営業時間を短くしたり、品数を調整したり、心の余裕が持てるペースでやっています」

口コミで人気が広がり、週末はイベントに出店することも

子どもを見守り育てる地域のつながりを実感

「ずっと都会暮らしだったので、ここに住み始めた頃は、ご近所付き合いや地域行事の多さに驚きました。週末ごとにイベントや清掃、集まりなどがあって、むしろ平日よりも忙しいくらい(笑)。最初は、その距離感に戸惑うこともありましたが、誰も知り合いがいなかったので、周りが気にかけてくれるのはとてもうれしかったし、おかげで地域に馴染むことができました。子どもたちが通う学校の友達もいい子ばかりで、すぐに仲良くなれましたし、みんな顔見知りなので安心感があります。地域で子どもを見守り、子育てをしているような感じで、とても心強いですね」

農業だけでは厳しい⁉ 安定した収入源を模索中

「農業は天候や作物の病気など、予期せぬトラブルで収穫量が変わるため、会社勤めの頃と比べて収入が不安定です。それに、収穫後は手作業で袋詰めして、複数の販売所に持って行き、売れて、やっと収入につながります。農業をやってみて初めて、その工程が思った以上に時間がかかり、大変だということに気づきました。そういった作業時間の長さを考えると『意外と儲からない』というのが本音です」

「だから今、農業とパン以外に、もうひとつ安定した収入源を作ろうと主人と話し合っているところです。自宅は、紹介してくれた地域の方から本当に格安で売ってもらったので、家賃はゼロ。食べ盛りの子どもがいるので、食費はある程度かかりますが、お米も野菜もできるだけ自給自足していますし、外食も減ったので、そこまで気になりません」

自家菜園で採れた季節の野菜が食卓に並ぶ

ただ、以前と比べて水道光熱費は上がりました。この地域は冬の寒さが厳しいので、暖房費がかさむんです。それに田舎は、普段の買い物から農作物の出荷まで移動手段がすべて車なので、ガソリン代や車の維持費もかかります」

「子どもたちの医療費は中学生まで無料です。地域には、私立の学校や塾、習い事の数が少ないので、その点では都会より教育費はかかりません。ただ、田舎だと選択肢が少なくなるので、できるだけ子どもたちの将来の可能性を狭めないように、サポートしたいと思っています」

店頭に立つ山本さん。ここでのコミュニケーションが人脈をさらに広げている

まとめ

インタビュー中、「移住したことに後悔はありません!」と笑顔で答えてくれた山本さん。今の暮らしは、仕事もすべて自分たちで決めたことだから責任も持てるし、前に進めると教えてくれました。農家に転身し、試行錯誤しながらも、自分たちのペースでやりたい仕事を続ける「ちょうどいい暮らし」が、心の余裕と充実感にもつながっているようです。

そして、田舎ならではの地域のつながりや顔の見える関係性、住民同士の交流が、子どもたちにとっても、ご夫婦にとってもプラスとなっていることも印象的でした。

やりたいことを叶えるための選択肢として、移住を決意した山本さん。自然豊かな丹波での生活は、彼らが思い描く「自分らしい暮らし」につながっていました。

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