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「ねえ、今日ご飯なににする?」

最寄り駅に併設されているスーパーで、彼と一緒に食材を選ぶ。このスーパーに来るのは、何度目になるだろう。

3年前の夏に、井の頭線の「高井戸」に彼と引っ越してきた。ふたりで暮らすには十分な広さの1LDK。ごくごく普通の、だけど日当たりがものすごくいい南向きの家。

高井戸で暮らし始める前、ふたりでさんざん“未来想像ゲーム”をした。「どんな家に住んでる?」「そこでどんな暮らしをしてる?」「どんな物が置いてある?」「どんなマグカップで朝を迎えている?」と理想の未来を思い描く遊びだ。相手の質問に対して、必ず自分の理想を大真面目に思い描いてから答えなくてはいけない。どこにいても、未来にトリップできるその遊びは、いつしかふたりの定番の遊びになった。

私はそれまで埼玉の実家で暮らしていたから、彼が住む都内の狭いワンルームに時々いって、夜な夜な一緒に未来を思い描いた。

「ふたりで住む家はどんな家?」と彼が聞くので、「日当たりのいい家に住んでる」と私が返す。

「日当たりのいい家。いいね。ちょっと思い描いてみる…。あ、窓から小学校が見えるよ。子ども達が走ってる」

彼はそうやって、時々具体的すぎる想像を働かせて私を笑わせる。「どうして小学校なの」と笑うと、「窓から小学校が見えると、体育の時間のたびに『俺も運動しなきゃ』って思えそうでよくない?」などと言う。変わった理想、とくすくす笑ってわたしたちは手をつないで眠った。

そんな日を積み重ねて、1年が経ち、私たちは本当に一緒に暮らすことになった。結局、窓から小学校は見えないが、日当たりがよくて暖かな家が見つかって、そこでふたりの暮らしを始めることにした。

内覧に行った日は、可笑しかった。帰りに彼が「あの家が絶対にいい」と言うので、「どうして?」と聞けば、「あの家なら、喧嘩しても仲直りできそうだから!」と大真面目に言うのだ。私たちはそれまで一度も喧嘩したことなんてないのに。彼の想像力に、またしても私は笑い、そして翌日には申し込みをした。

でも彼の想像力は馬鹿にできなかった。
住みはじめて1ヶ月も経たないうちに、おしゃれな間接照明を買うとか買わないとかでちょっと揉めたのだ。かたくなに買いたいという彼と、かたくなにいらないという私。そのほかにも、些細なことで喧嘩した。けれど、喧嘩はだいたい夜で、次の日燦々と降り注ぐ日射しを浴びていればどうでもよくなってくるのだ。

「喧嘩、しないで済むね。この家にいると」
しみじみそう言うと彼はちょっと誇らしげに「だから言ったでしょ」と笑う。
悔しいけど、その通りだ。ぽかぽかとした部屋の中では、なんでも許せる気がするのだ。

このぽかぽかは、物事を良い方向に進めてくれた。
2年後、日がさんさんと降り注ぐ日曜日の昼間に、彼が「どうしても結婚したい」と言い始めた。思わずわたしはぽかぽかな気持ちで「はい」と答えた。何も不安はなく、わたしたちは結婚を決めた。今思えば、あの「不安のなさ」も、ぽかぽかのおかげだった、と思う。

スーパーの帰り道。いつものように彼が牛乳の入った重たい袋を持ってくれ、わたしはお野菜が入った軽い方の袋を持つ。シャリ、シャリ、と歩くたびにビニール袋とコートがかすれる音を聞きながら、ふたりで家に向かう。

「そういえば今日、仕事どうだった?」

彼はいつも、自分の話をするよりも前に、わたしに質問をしてくれる。前の日の夜に「明日の仕事、緊張するな」とか「明日は嫌いな上司と外回りなの」とか話していたことを必ず覚えてくれていて、会話のきっかけにしてくれる。そんなとき、小さいころ学校から帰るとおかあさんが「今日はどうだった?」と声をかけてくれていたあの時間が蘇る。わたしのことを見守ってくれる人。そんな人は両親しかいない、とあのときは思っていたけれど、いま、わたしの隣にもいる。

「あのね、それでね……。そっちはどう……?」
「今日ね……」

一通り仕事の話をするが、一向に家には着かない。

「ねえ、やっぱりこの家、駅からちょっと遠いよねぇ」

思わずつぶやいてしまう。駅から家までは15分近くあった。物件情報には「駅から9分!」なんて書いてあったが、重たい荷物をもってふたりで話をしながら歩いていれば15分はかかってしまう。わたしたちは十分な日当たりを得た代わりに、家からの距離(と、スーパーまでの距離)を差し出したのだった。

「な。ちょっと遠いよな」
「おうちはすっごく気に入ってるんだけど、やっぱね」

いつもなら、ここで「もうひと頑張り」「あのあったかい部屋が待ってる!」と言い合うのだけれど、今日は違った。

「ねえ、次引っ越すなら、どんな街がいい?」

彼が唐突に言う。「引っ越し」。あんまり考えていなかったけれど、想像してみると急にわくわくしてくる。新しい家、新しい暮らし。また一緒に、街を開拓する喜び。

「えっ、どんな家がいいかな?」
「やろう、未来想像ゲーム」

彼に促され、わたしはぼんやりと未来の風景を思い浮かべる。そこから、詳細に、詳細に。

「海が近いところ。それで、ふたりで一緒に散歩する。時刻は、夕方。もうちょっとで日が沈む」

まるで見えているように、話す。

「お、海かぁ。それなら、逗子とかいいな」
「逗子って、そんな素敵なところなの?」
「知らないけど、そうみたい。海があって、暮らしやすいって友達が言ってた」
「ふぅん」

彼は続ける。「俺らは、犬を飼ってる。夕方、散歩につれていくのが毎日の習慣」

シャリ、シャリ、シャリ。夜道にビニール袋の音が響く。住宅地の、静かな夜道。今ここにはふたりしかいないけれど、足元には愛くるしい犬が見えてくるような気がする。

「犬。いいね、黒い犬でしょ?」

そう言うと、彼は急いで反論してくる。

「ちがうちがう、白だよ白。ほら未来をよく見てよ、どうみたって白でしょ?」
「えー。私の未来には黒の犬しか映ってません」
「だめ、白じゃなきゃ」
「白は汚れるじゃん。黒にしようよ、黒」
「洋服じゃないんだから」

冷たいコンクリートの上で、ふたりは海沿いを思い描く。ふたりで靴を片手に持って、海沿いを散歩する。私たちは浜辺に打ち上げる波の気温を足で感じながら、季節の移り変わりを実感するはずだ。潮風が髪の隙間を通り抜け、まつげを撫でる。そこまで想像すると、想像の景色の中に小さな人影が見えた。子ども。子どもだ。わたしたちの、子ども。

「あ、子ども」

目に見えた景色をそのままぽつりと口に出してしまう。わたしたちはふたりとも子どもが欲しいとよく言い合っていた。それがいつになるかはわからないけれど、仕事の都合もあるし来年か再来年くらいに授かれたらいいね、と甘やかに話をした日もあった。

「子ども、か」

彼も頷いて小さく応える。同じ未来を描いている。そう感じて、口元がほころぶ。

「俺、子どもと一緒に海で遊ぶ」
「ダメよ、あなたは犬と走ってくれなきゃ」
「え、犬はきみが抱っこするんだろ?」
「どうしてよ、大型犬なんだから抱っこできない」
「えっ、大型犬なの?」
「そう」
「すごいな」
「なにが?」
「大型犬と、子どもと、きみと、海。すごいじゃん」
「なにが?」
「しあわせが、すごい」。

家の近くにある歯医者の看板が見えた。家までは、あと少し。未来を思い描く時間は終わり。いつもの日常にまた戻っていく。そこまで考え、少しだけ寂しくなったころ、彼が言う。

「家、買おうか」

ビニール袋が足にあたって大きく跳ねた。車がヘッドライトをつけて住宅街をぶぅんと通り過ぎる。一瞬聞き間違いかと思ったけれど、彼は確かに言った。「買う」って。

「……えっ? 買う、の?」
「うん。だってそのほうが、子どものためにもいいでしょ? 引っ越さなくていいし」
「そうかもしれないけど……。買うって、そこでずっと住むってことでしょう?」
「そう」
「じゃあ、私たち、そこでおじいちゃんとおばあちゃんになるの?」
「そうだよ」
「……どんなおじいちゃんとおばあちゃんになるかな」
「思い描いてみる。……見えた」
「どんなの?」
「君は緑の手編みのセーターを着てる。胸にはイニシャルの“S”って文字が書いてある」
「やだ、そんな服」

二人でくすくすと笑って、マンションのエレベーターに乗り込む。こういう時間を積み重ねて、おじいちゃんとおばあちゃんになれるなら素敵だ。そこに、犬や子どもがいれば、今よりもにぎやかであたたかになるだろう。

「来週、逗子遊びに行こうよ」
「いいね。実際に現地に行って、想像を膨らませよう」
「そうしよう」
「じゃあ来週までにさ、犬の名前も考えようよ。黒だか白だかわかんないけどさ」
「いいよ。うーんと……」

喧嘩の末、買うことになった間接照明があるこの部屋で、今夜は未来の新しい住まいを思い描こう。想像が、未来をつくるから。

▼第2話・第3話はこちら
【夏生さえり小説<2>】理想の家探し「年上ぶりたい夫、妻ぶりたい妻」
【夏生さえり小説<3>】理想の家探し:「約束の一年」

著者:夏生さえり
フリーライター。出版社、Web編集者勤務を経て、2016年4月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計18万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。共著に『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所)。『口説き文句は決めている』(クラーケン)。Twitter:@N908Sa

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