【ARUHIアワード12月期優秀作品】『海』室市雅則

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「海は父ちゃんの家みたいなもんだ」
 小さい頃から僕はそう聞かされていた。ならば、僕が住んでいる家は何なのだろうと思った。そこは父の帰る場所ではないのだろうか。帰って来なくて良いとまでは思わないけれど。
父はマグロ船の漁師だった。
 一度、漁に出れば数ヶ月は帰って来ない。その間は、母と二人きりで過ごした。そして、帰って来て、一ヶ月も休めばまた漁に出ていく。だから、『海が家みたいな』ものというのはあながち間違ってはいない気もするが、どこか腑に落ちない。
 父親が不在の家庭というのは珍しくはないが、いるけど、いないという家だった。
 父は自身の宣言の通り、違和感なく海へ向かうから、陸にある僕らの家に『ただいま』と帰宅しても、ちょっと寄っただけのようであった。だから、父が家にいる時は、子供ながらに嬉しさと共に、どこか他人のようなよそよそしさを感じていた記憶がある。

 今も当時も過酷とされる職業であることは変わらないと思う。どうして、父がその仕事に就いたのは聞いたことがなかった。何せ、ずっと海にいて、ろくすっぽ話すことなどなかったのだ。
 
 父はつい先日、マグロ漁師をリタイアした。
 もはや大ベテランとなっていたが年齢には勝つことができなかったようだ。
 今は、世界のどこかの港で買ってきた小さなワニの剥製(きっと今は手に入れることができないだろう)や、アメジストの原石などが置かれた居間で、新聞を読むか、テレビを見るかの日々を過ごしている。時間を持て余し、両生類からの進化の途中のように自分の居場所が陸なのかどうかを戸惑っているようだ。
 ただ進化しているのではなく、どこかぼうっとしてしまって退化に向かっているようにも見えた。
 方や、僕はすでに大学も出て、会社員として働き、これからがたぶん花盛り。キッパリと言い切れないのは、僕はそんなに仕事ができる方ではないからだ。それでも今度は僕の方が家にいる方が珍しくなった。
 
 会社の大して面白くもない忘年会、二次会、三次会に付き合って、酔ったような酔わないような頭で明け方近くの帰宅となった。出世をしたいわけではないけれど、会社員としてのマナーというか、付き合いのようなものをしなくてはならない。飯を食べて行くためにいくつかあるハードルだと思う。万が一、僕が何かの才能と運に恵まれて、フリーランスとして糊口をしのぐことが出来たとしても、誰かから仕事を得なくてはいけないから、働くということは、やることが違っても、根っこの部分は同じかもしれない。
 今夜のように上司の付き合いに自腹を切って、タクシー代だって自分で支払っても、僕には帰る家があって路頭に迷うことはなさそうというのは幸運な環境だとは思う。その基盤は『海が家』と言った父が稼いだお金で作られた。

 玄関を開けるとリビングから明かりが漏れていた。父がすでに起きていた。新聞はまだ届いていないので、ぼんやりとラジオを聞きながら寝転んでいる。
「お帰り。飲み過ぎたか?」
「ただいま。まあまあ。こんな時間に何してんの?」
 父と二人きりで話すなんていつぶりだろうか。僕らの間には必ず母がいた。母は寝室でまだ眠っている。まさかわざわざ起こすほどに、僕らは仲が悪いわけではない。ただあまり向き合ったことがないだけだ。
 父は笑って、すっかり白くなった胡麻塩頭をかいた。肌はまだ黒く日に焼けたままだから、余計に白さが際立っている。
「起きちゃうんだよな。まだ体は海の上にいる感覚なんだよ」
 父の年齢は六十を超えており、十代から海に出ていたから、仮に九十歳で亡くなるとしたら、人生の半分以上は海の上で過ごしたことになる。
「眠いか?」
「まあ」
「ちょっと付き合ってくれよ」

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